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アウシュビッツからダッハウに送られたとき、わたしたちおよそ2000人の被収容者を運ぶ列車は、真夜中にウィーン市内のある駅に停まった。
その家並みの一軒でわたしは生まれ、追放された日まで何十年もそこで暮らしていた。
わたしたちは狭苦しい護送車に50人ずつ詰め込まれていた。
護送車には鉄格子のはまった小さなのぞき窓がふたつあいている。
爪先立ち、人びとの頭越しに、鉄格子の向こうに見たふるさとの町は、やけに幽霊じみていた。
子供時代を過ごしたふるさとの通りや広場や家並みが見えても、まるで自分がすでに死んでいて、幽霊になって見下ろしているような気がした。
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ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』より