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​ノートの片隅

恐竜展

恐竜展

夏休み、恐竜展に行った思い出。 ソ連科学アカデミーとか、ゴビ砂漠とか。 恐竜の化石にさわるコーナーがあって、さわると「さわりました証明書」を発行してくれた。

いっそセレナーデ

いっそセレナーデ

昔、サントリー角瓶のCMに井上陽水が出演していて、"いっそセレナーデ"が流れていた。 外国っぽいアパートの一室で、陽水が冷蔵庫から電話機を取り出したり、アイスピックで氷を砕いたりする。 ぼくは11、2歳くらいだったけど、その大人っぽい雰囲気が好きで歌もよく口ずさんだ。 歌詞の意味は全然分からなかったけど。 大人の都会生活はこんなか、と思ったりした。 あまいくちづけ 遠い想い出 夢のあいだに 浮かべて 泣こうか いまは、ああ、グッとくる。

エゾオオカミ

エゾオオカミ

えぞおおかみ 蝦夷狼 EZO-OOKAMI アイヌ語では、horokew-kamuy 学名は、Canis lupus hattai

冬の夜の楽しみ

冬の夜の楽しみ

ノルディック世界選手権見るのが冬の夜の楽しみ。 さっき高梨沙羅さんが飛んだ。 昔のジャンプ競技見ると、今とフォームが全然違う。 スキー板は揃えて、腕を前に伸ばしたり、ぐるぐる回したり。 今夜の解説は原田雅彦さん。 長野五輪、原田選手の競技後インタビューは何度見ても泣き笑う。

穂高書房

穂高書房

阿佐ヶ谷に住んでいたころ、アパートの近くに穂高書房という山岳書専門の古書店があった。 狭い本屋だった。 本がパンパンに詰まった電話ボックスのような店だった。 積み重ねられていた本の標高は2m。 山男然とした髭の店主は、いつも店の外にいらした。 店の中では狭くて息苦しかったんだろうか。 閉業されてもう10年以上経つと思うけど、見た目にも好きな本屋だった。

山男

山男

山の写真家・田淵行男さんについて書かれたもので、親交のあった写真家・水越武さんの文章がおもしろかった。 水越さんが初個展を銀座で開いたとき、前触れもなく安曇野から田淵さんがやって来たという。 田淵さんは豊科駅から始発で、風呂敷包みの弁当をひとつぶら下げ、地図を頼りに銀座のギャラリーにやってきた。 そして水越さんの作品を一点一点丹念に見て回り、控室で風呂敷の弁当を食べ、食べ終わるや有楽町駅から帰路につかれたのだそう。 見送りたいという水越さんの申し出を断り、他の来場者のためにギャラリーにとどまるよう促し、田淵さんはその日のうちに安曇野に帰ったという。 このエピソードを読んで、よく云われる「山男」の話を思い出した。 山男というのは、山ではいきいきとしてその眼は光り輝いているが、山を降りると、いかにも朴訥な人に映るというもの。 風呂敷包みの弁当を手に、田淵さんは安曇野から銀座へ降りてきた。 田淵さんを敬愛する若者の初個展を祝うために。 その山男の実直さに、じんときた。

共存

共存

NHK『裏山にヒグマがいる』見る。 いずれの立場から見ても辛い。 「人間とヒグマの共存」という、ともすればおとぎ話と化してしまう問題を、地元の告発として突き付けられたような気持ち。 番組の作り方としても精一杯だと思う。 自分が熊を描くということの覚悟。 今一度。

西村秀夫さん、こけし

西村秀夫さん、こけし

過去の日記ぱらぱら眺める。 2005年。 宗教学者西村秀夫さんの番組を見た、とある。 西村さんの自宅が映り、若くして亡くなった息子さんの写真盾の裏に、数本のこけしが置かれていた… という覚え書き。

石炭

石炭

1973年広島生まれの自分は石炭ストーブには馴染みがない。 練炭はぎりぎり。 初めて石炭ストーブにあたったのは、冬の津軽鉄道。 ストーブ列車に乗れたことがうれしくて、ついストーブのそばの席に座った。 それがまあ暑いこと。 途中でたまらなくなり、ストーブから離れた席に移った。 その熱量、石油ストーブの比ではない。 小学生の頃、石炭の標本を持っていた。 脱脂綿を敷いたケースに石ころ大の石炭がひとつ。 こんな石が燃えて、SLも走らせることができるというのが不思議だった。 化石燃料は消えゆく運命にあるし、これをなんとかしなければ未来はない。 石を燃やして機関車が動いたのなら、そろそろ何かを燃やさないでも動くものに驚かされたい。

熊は逃げる

熊は逃げる

ある方の熊の絵を見て、自分には決定的に足りないものがあると気付く。 それをおぎなえるものはなんだろうか、と考え続けている。 絵が上手い下手とか、そういうことじゃない。 それならいくらでも負けてあげられる。 自分のなかに負からないものがある。 それに出会えただけでも、ぼくは助かったのかも知れない。 描いても描いても熊は逃げてゆく。 いつかつかまえられるだろうか。

NEW HORIZON

NEW HORIZON

絵本で英語を使ったけど、てんでイケてない英語になっていると思われ。。 中一からやり直したい… ああニューホライズン。 鈴木英人さんの表紙は鮮烈だった。

ブルーの見解 by 佐野元春

ブルーの見解 by 佐野元春

♫あぁでもおれはきみからはみだしている

子どもが子どもでいること

子どもが子どもでいること

NHK『不登校がやってきた』興味深く見る。 答えがない。 あらためて、子どもが子どもでいることは大変だなあと。 大人の興味のあることが多いだけ、子どもにも選択肢がありすぎて選択肢がないような。 ぼくの頃とは比べようがないけど、押し付けられるものは身にならない。 けどなるものもある。 答えはない。 終了直後チャンネルを回すと、絶海の孤島「鳥島」をたった一人で40年間行き来し、アホウドリを調査し続けている先生の番組をやっていた。 その先生が根気強く調査してこなかったら、アホウドリの生態はよく分からないままだったし、何より絶滅したかも知れないのだ。 答えはないのだけど、これもひとつの答えだと思った。

思索のとき

思索のとき

かろやかに、自由に。 旋律的短音階から自然的単音階へ戻すように。

及川恒平さん

及川恒平さん

岡本忠成さんの人形アニメを見ていたら懐かしい歌声が聴こえる。 及川恒平さんの歌。 詩人がギターを弾いて歌っているような人。 恒平さんの歌はちょっとこわい。 季節はずれの風にのり 季節はずれの赤とんぼ 流してあげよか大淀に 切って捨てよか大淀に (面影橋から) 初めて聴いたとき、そのぶれない鬱屈(というのは変だけど)に憧れた。 『面影橋から』を作った当時、恒平さんは面影橋がどこにあるのか知らなかったという。 続いて出てくる「日影橋」にいたっては、架空の橋だったとのこと。 つくづく詩人だなあと。

サホロベアマウンテンにて

サホロベアマウンテンにて

ぼくも食べたくなったよかぼちゃ

ボサ君

ボサ君

いとしのボサ。 君にたよってばかりだ。

Get Back: Part2

Get Back: Part2

ジョンとポールの2人きりでのランチのときの、花瓶に隠したマイクの会話はすごかった。 ビリー・プレストンがアップルスタジオに挨拶に来てそのままメンバーになる流れ、たまらない。 ジョンがビリーに一緒にやってみない?と頼む背後で、ジョージが「そうだよやろうよ」と、ジョージらしく控え目だけど、めちゃくちゃうれしそうなのには泣けた。 I've Got A Feelingでビリーが弾き始めたときのポールの驚き。 泣けた泣けた。 この1969年1月のロンドンの空気をずっと味わっていたいけど、今夜にはPart3が解禁になって、屋上でのライブで終わりも近いと思うと、さびしい。 個人的には名エンジニアのグリン・ジョンズがいっぱい出てくるのがうれしい。 めちゃくちゃいい人ぽくて。

Get Back

Get Back

配信で『ザ・ビートルズ:Get Back』を見た。 Part1は1969年1月10日、トゥイッケナムのスタジオでリハーサル中にジョージが突然バンドを辞めると言い出して本当に帰っちゃうところまで。 代わりにクラプトンを呼んだらいいとか、音楽雑誌でメンバー募集すれば?と嫌気マックス状態。 1月9日の"Let it be"のリハーサルはずっと見ていたかった。 歌詞もまだあやふやで、演りながら曲が出来ていく。 その間ヨーコとリンダは楽しげになんの話をしてたんだろうか。 明日Part2見よう。 ジョージの機嫌は直るのか? それを取り持ったのはやっぱりビリー・プレストンかね。

トルストイと関寛斎

トルストイと関寛斎

トルストイに会った日本人はいたのかどうか調べたら、1906年、徳冨蘆花が会いに行っていた。 トルストイは俗世を離れ、生まれ育ったヤースナヤ・ポリャーナで半農生活を送っていた。 その徳冨蘆花をわざわざ北海道から訪ねてきた老人がいたという。 関寛斎という質朴な老人で、陸別で牛飼いをしているという。 関寛斎は幕末の蘭方医師だったという。 70歳を過ぎて思うところあり、地位も名誉も捨て、明治35年、北海道陸別へ渡り開拓生活に入り、自ら開墾した原野に牧場をひらく。 徳冨蘆花は招かれて陸別の関牧場を訪れた。 ヤースナヤ・ポリャーナにトルストイを訪ねた日々のように、関翁と過ごした。 医師でもある関翁は、アイヌからも慕われ、貧しいアイヌの患者から金も取らずに治療したという。 この関寛斎こそは日本のトルストイだったかも知れない。 トルストイは最晩年、妻や家族の心情、生活態度と相容れず、家出をした。 そして旅の途中の駅で死んだ。 関寛斎もまた、自作農創設を志すも、やはりトルストイと同じように家族との意見の対立に悩んだという。 大正元年、関寛斎は82歳で自ら命を絶った。

死んだ男の残したものは

死んだ男の残したものは

死んだ男の残したものは ひとりの妻と ひとりの子ども 他には何も 残さなかった 墓石ひとつ 残さなかった ・ この歌は難しい。 男性が歌ったものは重たくて(辛気臭くて)、あまり好きじゃない。 元々はベ平連からの依頼で、集会での合唱曲として武満徹と谷川俊太郎が作った歌だったと聞いた。 石川セリさんが歌うのを聴いたとき、それまでとは違った印象で、すーっと聴けて、歌詞がじわじわと響いてきた。 『この世界の片隅に』の終盤、原爆で負傷した母子が描かれていた。 母は子を残して息絶える。 このシーンを見たとき、ふと2番の歌詞を思い出した。 ・ 死んだ女の残したものは しおれた花と ひとりの子ども 他には何も 残さなかった 着物一枚 残さなかった

漫画みたい

漫画みたい

考え事があり、漫画みたいに部屋のなかを行ったり来たり歩いてしまった。 本当にあるんですねえ。

アサヒペンタックス

アサヒペンタックス

父が取引先の人から譲り受けたカメラをぼくが勝手にいじり始めたのは小学4年頃だったか。 アサヒペンタックスK2。 28mmと50mm、あと望遠レンズは200mmだったと思うけど全部単焦点。 フィルム装填、巻き上げ、レンズ交換、絞りとシャッタースピード…いじくり回して自己流に覚えた。 フィルム感度の「ASA」は「アーサ」と読むのだと、それは父が教えてくれた。 「アーサ」はいつの間にか「イソ」になった。 (1983年7月から変わったそう) 中学の写真部のときもずっと使っていた。 望遠レンズであの子を写したりして、部室の暗室で引き伸ばしたり… それが祟ったのか、ある日突然、望遠レンズのケースの底が抜け、200mmレンズはお釈迦になった。 友人のは連写もできるキャノンの新型機種で、何よりズームレンズがうらやましかった。 ぼくのは単焦点レンズだから、ぼく自身が被写体に近付いたり遠退いたりしなければならない。 カメラは高かった(今も)。 多分父は金銭の代わりに取引先の人から受け取ってきたんじゃないかと。 今思うと、思い当たる節が。

ベティ・ハットン

ベティ・ハットン

明るく陽気なベティ・ハットンは「爆弾娘」と呼ばれてハリウッドの人気女優であり歌手だった。 その輝かしいキャリアでも浮き沈みの激しい芸能界を渡っていくことが出来ず、1960年代にハリウッドを去ったとき、何度も死を考え、薬物中毒になり、どん底まで落ちた。 1970年代、ベティ・ハットンは田舎町の教会で家政婦をしていた。 彼女は教会の仕事により救われ、生きる力を蘇らせていた。 教会の神父は、「ベティ・ハットン」という名すら知らず、ただ「無一文の薬物中毒患者」の彼女を保護したまでである。 多摩川河川敷に住むホームレスの方が捨て猫の命を救い、世話をするうちにその方自身が生きていく希望を見出していった…という話が忘れられない。 人は、救われてこそ人である。 誰も救いたくないし救われたくない、と信じている人も、その手には藁を掴んでいる。

turtleneck

turtleneck

「タートルネック」を「とっくりのセーター」と言ったら笑われた。

おはよう

おはよう

ボサくんおはよう。 今日も早いね。

なんで

なんで

なんでこんなだらだら人間なんだろう

マウンテンパーカー

マウンテンパーカー

シエラデザインの米国サイトを見てもマウンテンパーカーは見あたらない。 どうやらアメリカでは売られていないらしい。 一応60/40(綿60%ナイロン40%)の生地はアメリカ生産だし、いまだに縫製もアメリカ国内とのことだけど(一部中国製もあり)、すべて日本向けということなんだろうか。 世界で日本人しか着ていないってことなのか。 別にそれでどうってこともないのだけど。 土湯温泉に行ったとき、ちょっと車に忘れ物をして、車まで駆け足で戻った。 そのとき川沿いの歩道の段差で躓き、思いっきり転倒してしまった。 駆け足だったので勢い余って、身体が宙を飛んでいくのが分かった。 そのときシエラデザインのマウンテンパーカーを羽織っていたのだが、肘をアスファルトに強打したのにマウンテンパーカーは破れるどころか傷も付かなかった。肘も痛いことは痛いけど、擦り傷は負わなかった。 マウンテンパーカーでなかったら大怪我していたかも知れない。

ルノー4 フルゴネット

ルノー4 フルゴネット

子どもの頃に持ってたミニカーで気に入ってたやつ。 これといすゞジャーニーQの移動図書館が好きだった。 商用車が好きだったんだろうな。 古いトミカ、今探すと高いのね…

森重隆さん

森重隆さん

見た? NHK特集「ノーサイドの笛は鳴った」の再放送。 1981年の新日鉄釜石ラグビー部。 選手兼監督の森重隆さんがかっこよすぎてまいった。 はっきり言って惚れたなあ。 松尾雄治というスターも、森重隆が支えてこそ光っていたんだなあ。 森さんの選手としての最後の日々を、アリスの解散とオーバーラップさせて見せるところがまた哀愁が増すというか。 フィールドにたたずむ森さんの横顔にアリスの『さらば青春の時』が重なる。 こちらも思わず口ずさんでしまった。 ラグビーとアリスって結構合うんだなあ。

RONIN

RONIN

もともと何も知っちゃいないし 可愛いものよ もともと何も持っちゃいないし 気楽なものよ “ジャスト・ア・RONIN” 加藤和彦&吉田拓郎

いま出ました

いま出ました

そば屋の出前じゃないんだから。

ラコスト訪問記

ラコスト訪問記

澁澤龍彦は、城と牢獄は互いに裏返しの関係であると書いた。 城は頑丈な牢獄であり、牢獄は囚人にとっての城なのだと。 マルキ・ド・サドは6年間をヴァンセンヌ牢獄で過ごし、のちバスティーユに5年収監された。 そして著作のほとんどを獄中で書いた。 「獄中のサド侯爵は、仕事の邪魔をされたくなかったので、独房の扉がぴったり閉まっているかどうかを確かめに行った」 澁澤龍彦は、牢獄こそはサドにとっての夢想の場であり、城であったと強調した。 澁澤龍彦の『ラコスト訪問記』が好きだ。 サドの居城だったラコスト城は、南仏プロヴァンスのラコスト村にある。 澁澤龍彦にとって、ラコスト城こそいちばん行きたかった場所だったと思う。 澁澤龍彦が訪れた六月初旬の南仏はどんなだったろうか。 廃墟の城に着いた澁澤は、庭園の原っぱで赤い野の花を摘んだという。 「何サドの霊が花に化身しているような気がしたのである」 ラコスト城を立ち去るとき、車の窓から振り返っては、見えなくなるまで城影を眺めた… 摘んだ花はドライフラワーにして、いつまでも澁澤の書斎に置かれたという。 ぼくはそういう澁澤龍彦が好きだ。

お茶と情け

お茶と情け

それが沁みる日もあるさ。

平岡瞳さん

平岡瞳さん

高円寺の展示に平岡瞳さんいらっしゃる。 ぼくはコロナ前から、もう丸3年くらいお会いしていない感覚だったけど、平岡さんは去年お会いしましたとのこと。 もうコロナ以降の記憶が曖昧になりつつある… 久々に平岡さんとお話しできてよかった。 ひとつには、絵は誰かに見てもらいたいから描くのであり、見に来ていただける方と意見交換することが大事な糧になるような気がするので。 長く続くコロナ禍を過ごすなかで、絵を描くことをむなしく感じることもある。 そんななかで、足を運んでくださることの幸いをひしひしと。 このむなしさのなかで、ぼくはまだまだ描くべきでしょうか?との問いに、三蔵法師のような、興福寺の阿修羅像のようなまなざしの平岡さんは、「もちろんです」と。 ありがたさに思わず手を合わせてしまった。

飼育員さん

飼育員さん

ある動物園で起きてしまったトラの事故は痛ましくてやりきれなかった。 トラの写真を見るのも辛かった。 動物園の飼育員さんは今日も一生懸命働いている。 事故のないよう、動物たちが安気に暮らせるよう、世話をする。 大変なことだ。 動物たちには盆も正月もない。 ぼくは井の頭の象のはな子が好きだった。 上京してから、何もすることがない日はよく井の頭公園に出かけた。 少し遅い時間に行くと、もうはな子はゾウ舎のなかに入り、飼育員さんからバナナをもらっている。 そんな場面を、太い柵越しに何度か見た。 飼育員さんは食事の済んだはな子の鼻を抱いて、しばらくじってしていた。 はな子もじっとしている。 長年のきずなというか、象と人間で通い合うものがあるのだろうか。 世界中に動物園があって、広大な動物園や、私設の小さな動物園。 そのすべての動物に安気に暮らしてほしい。 それを支えている飼育員さんを尊敬する。

Greyhound Scenicruiser

Greyhound Scenicruiser

グレイハウンドのシーニクルーザーに乗ってアメリカを旅したいから、まずはボール紙で作ってみた。 ぼくのうしろの席には気のいいグリズリーも乗り合わせたりして… あのかっこいいシーニクルーザーはもう走っていない。 『ティファニーで朝食を』のドクはシーニクルーザーに乗ってテキサスに帰っていった。 あのシーン、素晴らしかった。

Sound of Silence

Sound of Silence

中学生の頃のぼくの楽しみは、夜、閉めたあとの実家の喫茶店で音楽を聴くことだった。 ポメラニアンのシイも一緒だった。 店には「有線」が引かれていた。 リクエストの電話をかけてお願いすると、3曲目あたりにかけてくれる。 それをラジカセに録音して繰り返し聴いた。 そうやって夜遅くまでいろいろな音楽を聴いた。 有線のスピーカーはマンガや雑誌の大きな本棚の上にあり、そこにラジカセを置いて、椅子に上がってRECボタンを押す。 曲が終わりそうになると、また椅子に上がって停止ボタンを押した。 時々ポメラニアンのシイが吠え、録音に入ってしまう。 リクエストし直すのも面倒だからそのまま聴いていた。 だからS&Gの"Sound Of Silence"のある箇所になると、いまだに頭のなかでシイの吠える声が再生される。 "やあ暗闇君、ぼくの古い友達 また君と話しにきたよ" ぼくとシイと暗闇。 そして音楽。 そんな夜がいくつもあった。

America

America

「キャシー」 ピッツバーグでグレイハウンドに乗ったときにぼくは言った 「ミシガンはぼくにとって夢みたいだ」 サギノーからヒッチハイクで4日かかったんだ ぼくはアメリカを探しに行ったんだ ("America" Simon & Garfunkel) "America"のポール・サイモンと恋人のキャシー・チッティーが乗ったグレイハウンドバスは、今もピッツバーグのユニオン駅のそばのバスターミナルから乗車できる。みたい。 ピッツバーグ〜ニューヨーク直行便はダイヤ上は9時間。 ただし直行便とは名ばかりで、一旦フィラデルフィアで全員降ろされる。んだって。 だからフィラデルフィアかボルチモアで乗り換えになってしまう。らしい。 トイレ休憩は2時間に1回。今は車内にもトイレがある。とのこと。 エコノミーで$65くらい、リクライニングとかできて手荷物も多めに持ち込める席で$100ちょっと。だとか。 ピッツバーグ空港からJFK空港までのフライトも$100ちょっとだけど、一度は乗ってみたいグレイハウンド。 いつかぼくもアメリカを探しに行ってみたい。 なあ。

岩野泡鳴と牧野信一

岩野泡鳴と牧野信一

落書き文学

梶井基次郎と中島敦

梶井基次郎と中島敦

落書き文学

葛西善蔵

葛西善蔵

落書き文学

中原中也

中原中也

落書き文学

子規

子規

落書き文学

装画下絵 #1

装画下絵 #1

夏葉社の島田潤一郎さんから曾根博義さんの遺稿集※を出版するとのことで、装画の依頼を受けたときに描いたメモ。 ※『私の文学渉猟』曾根博義著 夏葉社刊

装画下絵 #2

装画下絵 #2

吉田璋也設計の民芸調スタンドは小津さんの映画によく出てくるのでいつか描きたいと思っていた。 曾根さんが使っていたのは、あるいは蛍光灯スタンドだったかも知れないが。

装画下絵 #3

装画下絵 #3

その後ラフスケッチをとり、曾根さんの似顔絵も描いたりもした。 曾根さんが使っていたルーペがあったとして、それは角形か丸か。 島田さんにお願いして曾根さんのご遺族に確認していただこうかとも思ったりしたのだが、はっきりしたイメージを得るとかえってやりにくさもあるように思えて、知らないまま進めた。

こけしの絵

こけしの絵

こけしの絵を描くとき、気が進まないときがある。 こけしもまた絵だ。 こけし工人が心で描く絵だ。 その「絵」の絵を描くようで。 無礼を恥じるようなときがある。

漱石読み直し運動

漱石読み直し運動

ここのところ漱石を読み直す運動に参加している(ひとりで)。 近々では『永日小品』の『山鳥』が妙に沁みた。 漱石はすごいなあ。 小説の世界が世の中の全て、というわけではない。 漱石色に支配されることもない。 ただ、なんというか、読むたびに「こころ」にぽつりと染みのような影を落としてくれる。 頭が少しはっきりする。 ああ、ストレイ・シープとは、ダーターファブラと知れり。 ・ 「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。 すると、かの男は、すましたもので、「滅びるね」と言った。 熊本でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。 (略) 「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」 でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。 「日本より頭の中の方が広いでしょう」と言った。 「とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ」 (三四郎より)

SNS

SNS

BS世界のドキュメンタリー『"幸せ"に支配されるSNSの若者たち』見る。 フランス制作。 なかなかにきつい内容。 ぼくはもう若くはないけれど、やはりある意味「SNSの罠」にはまってしまっているのだろう、ヒリヒリと感じるところもあった。 結局ぼくらはシステムの上でしか生きていないのだろうか…と思う。 このコミュニケーションツールとしてのSNSはなかなか容易に切り離せないが、切り離さなきゃならないときもくるかも知れない…とは思う。 ふと、この言葉が浮かぶ。 かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう(早川義夫)

忠臣蔵

忠臣蔵

年末恒例の忠臣蔵特集。 何本か見る。 時代劇は制作年が古ければ古いほどリアルに感じる。 牧野省三の忠臣蔵なんか、江戸時代に撮ったのじゃないかと思うくらい物々しい。 東宝オールスター出演の『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』が個人的には好み。 松本幸四郎(初代白鸚)は松竹版と東宝版と、どちらも大石内蔵助で主演というのが凄い。 全身是内蔵助。 もう20年くらい前のこと、父が上京した際、まず泉岳寺に参りたいとのことで案内した。 四十七士の墓に手を合わせながら、神妙な面持ちで蘊蓄を語っていた。 『忠臣蔵』を見て泉岳寺を懐かしく思うと同時に、封建時代の闇のようなものには背筋が寒くなる瞬間もある。

焼鳥

焼鳥

うちの近所に持ち帰り専門の焼鳥屋さんがある。 看板も何もない。 常連さんがわざわざ車で買いに来るようで、予約しておかないと買えないのかも知れない。 どうやって買っていいのかよく分からないから、いつも通りがかりに眺めるだけ。 少し前、「都合によりしばらく休みます」の張り紙があり、ひと月くらい休まれていたかも知れない。 ご主人はご高齢のようだから、もう店じまいされたのかも、と思っていた。 今日、焼鳥屋さんが開いていた。 麦わら帽子をかぶったご主人が、お元気そうに鳥串を焼いている。 やはり常連客が何組か、車でわざわざ買いに来ていた。 そしてぼくも初めて焼鳥を買うことができた。 レバーが極うま! (特に予約はいらないとのこと)

安仁屋さん

安仁屋さん

安仁屋宗八さんは沖縄出身初のプロ野球選手。 広島ファンにとっては愛すべきおじいちゃん。 カープ愛いっぱいの解説は時に厳しい。 毎年シーズン直前に発表する投手の予想勝利数は100勝を超える勢いで、ファンの間では「安仁屋算」としてお馴染み。 今年もそろそろ「安仁屋算」がはじき出される頃。

ピオーネ

ピオーネ

おいしかった。

上野のさる山

上野のさる山

サル山は人気だ。 サルを眺めるのも楽しいが、やってきた子どもたちが夢中で見ているのを眺めるのもまた一興。 上野のサル山は日本で初めてのサル山として昭和7年に作られたという。

ニューオリンズ風に

ニューオリンズ風に

佐藤信吾さんは鳴子鬼首の木地師にルーツを持ち、広島に住んだことがあり、ニューオリンズジャズをこよなく愛するトランペッターである。 実に楽しい演奏で、路上ライブではダンスに興じる方もいれば、感動のあまり佐藤さんにかけより抱擁を求む方もいて、やはり音楽はいいなあと。 ジョージ・ルイスを敬愛するぼくにはクラリネットの方の演奏もうれしかったし、リズムセクションも素晴らしかった。 樋口葬儀の折にはセカンドライン(ニューオリンズ式ジャズ楽団による葬列)をお願いします。

O氏とS氏

O氏とS氏

O氏とS氏と、池袋北口の焼きとん屋にて飲む。 いまは「北口」とはいわないとのこと。 「池袋駅西口(北)」と表示あり。

名画座

名画座

手ばなしで好き。

"Tame Bear"

"Tame Bear"

「熊使い」は2000年代に入り終焉を迎えた。 2007年にブルガリアで最後のダンシングベア(ロマというジプシーの系譜による大道芸)が動物保護団体に引き取られた。 引き取られた熊たちは「ベアサンクチュアリ」と呼ばれる広大な放飼場で余生を過ごしていて、今年ウクライナから保護された熊も共に暮らしているとのこと。 北海道のヒグマ問題、本州のツキノワグマの問題もそうだけど、「人間にとって危険なのだから熊を絶滅させる道もあるのでは?」という敢えてしているのだろう過激な問いかけを目にするたびに、ほんの少しでも自然を考え、何かを努力した末の問いかけなのかと問いたくなる。 保護団体の記事を読むと(ぼく自身が全部理解できているとは思わないけど)、ウクライナからたった一頭の熊を移送するために、どれほどの努力があったことか。

知らない町で

知らない町で

ある建物の脇に熊の置物があり、お母さんに連れられた幼稚園児くらいの眼鏡をかけた女の子がその熊をなでたり、握手しながら何か話しかけているのを見かけた。 熊と女の子は同じくらいの背丈で、女の子はそこを通るたびにそうしているのかも知れない。 優しい子だなあと思って見ていた。 お母さんがもう行くよと告げると、女の子は熊に手を振り、お母さんに連れられていった。 それは、羽田弁天橋から荻中公園まで歩く途中でのこと。 知らない町を歩くのは楽しい。 時々金木犀が香った。

好きなもん撮れ

好きなもん撮れ

年末に放送された五輪記録映画の番組は見ていない。 だから何も語る資格はない。 それでもここ数日、いろいろなことを思い出し、いろいろなことを推察したりしている。 昔のこととかしんどいね。 続けていれば…みたいに思うこともあったけど、ある時期からはやめてよかったと思っている。 だから語る資格はないのだが。 同期生島田角栄、がんばれ。 いやならやめて好きなもん撮れ。

マッチのレッテル #1

マッチのレッテル #1

宇都宮にも「隠れた名店」というのがたくさんあって、いい感じの喫茶店もいくつかある。 昔はもっとあったんだろうけど。 ぼくが越してきてからでも、どんどん古いものがなくなっているような気がする。 根岸吉太郎監督の『遠雷』を見ると、宇都宮駅前に大きな蕎麦屋がある。 いまは餃子屋さんになってる。 喫茶店「美留く」は夕方には閉まるからなかなか行けないけど、マッチのレッテルを勝手に作っちゃいたいようなかわいいお店。

マッチのレッテル #2

マッチのレッテル #2

宇都宮にはジャズスポットがいくつかあり、ジャズバーもたくさんある。 そう、宇都宮はジャズの街でありカクテルの街。 夜の街としては北関東一なんではないか。 「近代人」という老舗のジャズスポット。 「直立猿人」の向こうを張ったかのような店名が素敵。 アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズが初来日する前年の1960年にオープンしてるんだから、店の壁はジャズのすべてをほぼ吸い込んでる。 ここも勝手にマッチのレッテルを作りたい。

杉村春子

杉村春子

怖いから叱られたくない。

愛猫

愛猫

ロシア軍の攻撃から市民が避難するのに愛猫を置いていかないとならないニュース映像見る。

Motanka doll, Ukraine

Motanka doll, Ukraine

「重なる子どもの遺体・絶望に沈むマリウポリ」という記事読む。 いくさ止まねど花一匁。 止んでもかえらぬ子どものかけら。 誰も責任取らぬもの。 これだからいやだ。 お国のためは。

今朝見た夢の断片

今朝見た夢の断片

ウクライナの女性と思われる人の漕ぐ自転車が通り過ぎるのを眺めている。 ぼくはシュガーベイブのレコードを手に入れるも盤面がひどく汚れている。 それを工房のようなところを借りて洗剤を含ませたスポンジで洗っている。 エプロン姿の工房スタッフが見ている。 駅の土産物売り場に網に入れた何かを売っていて、村上春樹氏が網をつまみ、「これに子どものかけらを入れるといいね」と言っている。 「子どものかけら」というのが、さすが村上春樹だと感心している。 そこで目が覚めた。 さっぱりわけがわからない。 シュガーベイブも村上春樹も、もう随分聴いてないし読んでない。 ウクライナの人は自転車でどこへ?

ライブカメラで見ているキエフの空

ライブカメラで見ているキエフの空

2022年3月2日、ウクライナはお昼過ぎたところ。 寒そうな空をぼんやり眺めていたら不意にサイレンが鳴った。

テディベアの日

テディベアの日

気温が低くなるとぬいぐるみが恋しくなる。 10月27日はテディベアの日ですって。

"キングサーモンのいる島" by 六文銭

"キングサーモンのいる島" by 六文銭

及川恒平さんのHPにある『歌のはなし』によると、『キングサーモンのいる島』にはそれほど深い意味が込められているわけではないとのこと。 「オホーツクの果て/波の上に/ゆらりゆらゆら/そんな小さな島がある」 この「島」も明確なモデルはなく、「ひょっこりひょうたん島」のような島かも知れない、とのことだった。 ただ、恒平さんが幼い頃に父上に連れられて鮭の遡上を見たとき、川面を跳ねた鮭が白い息を吐いた姿は確かに見たという。 歌にはひとつ真実があれば、あとは紡がれてゆく。 たとえそれが少年の日の幻影だとしても。 「キングサーモンの/熱いステーキが/食べたいな」 この箇所、厚い、ではなく、熱い、というのがやはりいい。 北国の寒さに暖かさを求める歌なのだ。

アンヌの部屋

アンヌの部屋

この回が好き。 ペガッサ星人は暗闇に紛れて何処へ行つたのでせう?

老眼

老眼

さっき外した眼鏡が見当たらない…

American black bear

American black bear

『ナショナルジオグラフィック』2022年7月号の特集は「都会の野生動物」。 ノースカロライナの町中で、コヨーテやアライグマ、そしてアメリカクロクマなどの野生動物が暮らしている様子を取材。 なかには高速道路のすぐ脇のカエデの木のうろで冬眠する熊も。 もう、人里に降りてくるという問題ではなく、もはや都市で暮らし始める野生動物の適応力に驚くという内容。 この特集の撮影はコーリー・アーノルドという写真家が担当していて、ぼくは以前からこの人の写真が大好きだった。 本業は漁師で、ベーリング海で操業する漁船の船長さんでもある。 だから、漁や漁村を撮ったシリーズは本当に素晴らしい。この人でなければ撮れないと思う。 同時に、北米の野生動物を撮るにしても、何か人間臭さというか、人間との繋がりのなかで捉えているのを感じる。 写真家が自然に向かうのではなく、自然を相手に生きる人が写真を撮っているというか。 この人の写真のような絵が描きたい、と思ったりもする。

おとうと(市川崑)

おとうと(市川崑)

碧郎(川口浩)の希望でげん(岸惠子)が島田に結ってみせるところ。 フィルムごと抱きしめたい映画。

生稚児

生稚児

長刀鉾には生稚児(いきちご)が乗る。 (長刀鉾以外の鉾には人形の稚児を乗せる) 生稚児には小学5年男子が選ばれた。 生稚児が真剣でしめ縄を切り巡行が始まる。 山鉾はゆっくりと四条通を進む。

山鉾巡行

山鉾巡行

祇園祭の中継見る。

暑い #4

暑い #4

おじさんは首かけ型ダブル扇風機。

暑い #3

暑い #3

あの小さい扇風機を持ち歩く姿は、もう普通の風景になった。

暑い #2

暑い #2

帽子かぶってくればよかった…

暑い #1

暑い #1

野球部おつかれさま。

帰りたい

帰りたい

ふと、古本屋があって、喫茶店があって、食堂があって、魚屋があって、パン屋があって、銭湯があるような町に住みたいというか、帰りたいような気になった。 好きなもの、どんどんなくなっていく。

あたい

あたい

小津さんの『お早よう』で"西洋の寝巻"と陰口を叩かれる泉京子扮する人。 ああいう一人称が「あたい」の人、好きだなあ。

ハナゴンドウ

ハナゴンドウ

太地町でクジラのハナゴンドウが海水浴の子どもたちと一緒に泳ぐニュース見ていやされた。

1991年

1991年

1991年のノートの片隅。

雨よ

雨よ

ひどく降らないで。

大林さん

大林さん

大林さんの作る映画が好きだ。 「映画は手で作るんだよ」という言葉そのままに、大林さんの映画は「手づくり」を感じる映画だった。 『野ゆき山ゆき海べゆき』が好きだった。 『異人たちとの夏』に泣いた。 『廃市』が怖かった。 マイベストは『おかしなふたり』だ。 戦艦大和のオープンセットを尾道で公開したときに、大林さんは激怒した。 大和が造られた呉市で公開するなら分かるが、なぜ子供からも金を取ってまでして、尾道で戦争を賛美するようなことをするのかと。 大林さんは怒りを露わにされて、大和が展示され続けるなら、もう尾道には帰らないと言われた。 曖昧にすることなく、映画作家としてきちんと釘をさせる人。 そのことがぼくはうれしかった。 イヤホンで大林さんが歌う『草の想い』を聴いている。

吉田一穂

吉田一穂

トージ3号、詩人を探求する澤村潤一郎さんにご寄稿いただいていて、ぼくが挿絵を描かせていただいた。 今回は北海道古平出身の詩人、吉田一穂について。 これは使わないけど、余った絵具で描いた一穂の顔。 詩人は、顔の表情もやはり詩だなあと。

Are You Ready for the Country?

Are You Ready for the Country?

「国のための準備はもうできてるかい?」(「国のための準備」佐野元春) と聞かれても、まだなにもできてない… 「Are You Ready for the Country?」(「国のために用意はいいか?」ニール・ヤング) と聞かれても、We haven’t had that spirit here Since 1969… 「国のため」とはなんだろう。 つまるところ「国防」だということは気がついてはいるのだけど。 この時代、気がつかないふりもなかなか大変だ。

#nowplaying

#nowplaying

♪野球帰りの少年たちが 街を走り抜けると もうじき夏さ “Water Color” by 大瀧詠一

そば

そば

昼はもり二枚。 晩三枚。

スイマー

スイマー

もう10年以上まともに泳いでない。 てゆうか泳げない。 変なクロール50m限界。 ジムのプールはもっぱら歩き専門。 少しは泳げるようになりたい。 ムーンライダーズの『スイマー』のように、あいつのビキニをつかめるまでに。

オッパチさん

オッパチさん

日本のハワイアン歌手で好きなのは、まず大橋節夫さん。 ハワイアンが好きな人は「オッパチさん」と呼ぶ。 オッパチさんの歌をくちずさむとハワイの旅を思い出してせつない。 聞こえていたね 懐かしい歌が 椰子の葉揺れてる島かげから (赤いレイ) オッパチさんはスチールギターの名手。 加山雄三の『お嫁においで』のスチールギターはオッパチさんが弾いている。

YETI

YETI

イエティの正体はヒマラヤヒグマですって。 二足歩行していたのを見間違えたってわけですね。 ビッグフットは何でしょう? (3mの宇宙人の正体はメンフクロウ)

オカリナ

オカリナ

今日もどこかの子が吹くオカリナが聴こえる。

信頼できる人

信頼できる人

「無頼」な人だけど「信頼」を寄せている人。

岸辺のアルバム

岸辺のアルバム

些細なことに拘泥するぼくは『岸辺のアルバム』の国広富之のようだ。 こんな年齢になってなお、まるで子供のように、つまらないことにこだわり、場の団欒を壊そうとする。 駄々っ子の如く非難し、自尊心を振りかざし、他人の機微も理解しない。 しかし、国広富之が堤防で叫んだ「ロボットのバカヤロー!」を忘れないでいたい。 自分だけは言いなりのロボットになってなるものかと、突っ張っていたい。 なんだかんだ言ったって、あいつら結局ビジネスじゃないか。 結局は売り物である自分の身の置き場を、ちゃんと選んでるじゃないか。 誰と付き合えば得で、誰と付き合えば損だと、抜け目なく計算して、平気な顔して笑っているじゃないか。 そんなの、よくないじゃない。 よくないじゃないのよ。 そんなの、まるでロボットじゃないか。 ロボットのバカヤロー! と、山田太一風にセリフにしてみる… 人の心は、時として、子供の叫びが必要じゃないか。 人が人を許せないとき、ギリギリのところで踏みとどまるには、そうやって叫ばないと生きていけないのではないか。

Pissoir

Pissoir

我慢しちゃいけない。

ゴッホの椅子

ゴッホの椅子

やすらぎよ光よとくかえれかし

北風帽

北風帽

耳が冷たくてねえ。 ぱっと耳が暖かくなるこういう帽子欲しくって。

二風谷

二風谷

二風谷に行った。 木彫師の高野繁廣さんはにこやかになんでも教えてくれる。 ぼくなんかが北海道を描いてもいいんでしょうかと訊くと、自作のトンコリ(アイヌ弦楽器)を爪弾きながらひと言、「グローバル」。

オカリナ

オカリナ

誰かが吹くオカリナ。 茶摘み、すいかの名産地、夏は来ぬが聞こえる。 ぼくにも吹けるかしら。

ドーハ

ドーハ

パリへの乗り継ぎのため、ドーハの空港待合所で大勢のイスラム女性に取り囲まれるように数時間を過ごした。 異文化に緊張しつつも、ニカーブという神秘的な衣装のなかに見える「暮らし」の気配にすっかり安堵し、眠りこけてしまった。

ミノルさん

ミノルさん

ハワイ島のコナでコーヒー農園を案内してくれたミノルさんは、日系3世で年齢は六十代半ば。 一見気の良い日本人のおじさんだが、日本語は全く喋れない。 マカダミアナッツの木の下で実を割って食べさせてくれたときに、ミノルさんの名前は漢字ではどう書くの?と訪ねた。 するとミノルさんはぼくの手のひらに達筆で一文字書かれた。 マカダミアの「実」と同じ字。

尾道

尾道

ひとりとひとりはさびしくて ふたりになればくるほしい あっという間に風吹いて はぐれた鬼めは帰らんしょ 『日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群』 大林宣彦監督作品より 尾道が舞台の大林監督の作品中、いちばん好きな映画。 朝焼けのなかで、夕子(南果歩)がささやくように歌う。 手の届かぬものに憧れる者は、いつも「はぐれた鬼」である。

セーター

セーター

アランセーターが好きだ。 アイルランド、アラン島の漁師が着るセーター。 木が一本も生えない岩だらけの島で、過酷な漁に出ても潮風から身を守ってくれるセーター。 漁師の妻が編んだセーターには、その家その家の編み模様があって、もし漁師が遭難しても、セーターの模様を見れば身元が判った、と言い伝えられたセーター。 だけど、そういった言い伝えは、実はほとんどが事実ではなかったという、ちょっとがっかりなセーター。 それでも、アランセーターを着ると、それだけで海の男になれるような、羊毛からケルトの香りが漂うような、ちょっと誇らしい気分になる。 ぼくのアランセーターを編んでくれた人の名は、なんて名前だったか。 編み手のサインが入ったタグを、どこかに残しておいたはず。 その人は漁師の妻か、娘か。 たとえぼくが遭難しても、セーターの模様ですぐに身元が判ればいいのだけど。

茂田井さんの巴里

茂田井さんの巴里

ここに来るのが長年の夢だった。 パリの下町にある小さな広場、サン・フェルディナンド広場。 1930年、この広場から伸びたデバルカデール通り沿いにあった日本人クラブの食堂で、茂田井武は皿洗いをしながら住んでいた。 画集『ton paris』は、このサン・フェルディナンド広場周辺のことを、茂田井さんの心にとまった風景、人々を、一枚一枚丁寧に描いたものである。 だから、ここに描かれているのはとても狭い範囲のことであり、この画集につけられたタイトル通り「私のパリ」なのだ。 一日の仕事を終えたあと、絵を描くことだけが楽しみというように、異国で生活することの不安をなぐさめるように描いていたのかも知れない。 茂田井さんが描いたカフェも、牛乳屋も、薬局も健在だった。日本人クラブのあった建物も、当時の姿をとどめている。 ぼくは旅先の用心もあり、茂田井さんが描いた薬局で下痢止めを買った。 茂田井武は、ぼくが絵を描き始めた頃に出会った画家。 茂田井さんの画集『ton paris』と出会わなければ、こんなにまでしつこく絵を描いたりしなかったかも知れない。

室内楽

室内楽

日々の中には必ず一人天使がいる、と中島らもさんは云った。 一日一日には、その日の天使というものがいて、何かに姿を変えて現れる。 高田渡の『夕暮れ』という歌を聴き、らもさんの話を思い出した。 夕暮れの街で ぼくは見る 自分の場所からはみ出してしまった 多くの人々を 夕暮れのビアホールで 一人一杯のジョッキを前に 斜めに座り その目が この世の誰とも交わらないところを選ぶ そうやって たかだか 三十分か一時間 『夕暮れ』作詞 高田渡 高田渡が歌うのは、天使を捉えた人の姿か、それとも、天使そのものか。 天使は降りてくる。 それは、白いひらひらを纏うでもなく、砂糖菓子のような輪っかを頭に浮かべるでもなく、一日の疲れのような気配に現れる。 ある日、考え事があり、高円寺の薄暗い名曲喫茶で屈託していた。 緩やかな室内楽がかかると、老人の客が指揮を取り始めた。そして飄々と店内を漂った。 それは天使然としていた。

昌平橋

昌平橋

日曜日の御茶ノ水。 神保町の古書街も休みの店が多く、裏通りなど一層ひっそりとしている。 聖橋から神田川を見下ろし、さらに秋葉原方面を眺めると、東京は奇麗な町だなあと思う。 何がどう奇麗なのか説明しづらいが、いつだったか、雨の降りそうな日の聖橋から眺めた秋葉原は特に奇麗だった。 そう思うのは自分だけではないようで、聖橋の真ん中から秋葉原方面を、ぼんやり眺めている人を見かけることがある。 時折、橋の下をはしけがくぐり抜けていくが、一度あれに乗せてもらって、船からの御茶ノ水も眺めてみたい。

宇都宮

宇都宮

梅雨空の宇都宮の町を歩くのは、雷の苦手な自分にとってはとても怖いことである。 稲光が走るたび、身を竦めてしまう。 しかし、"雷都"と呼ばれるほど雷の多いこの町に生まれ育った人たちにとっては、日常茶飯事のこと。皆、何食わぬ顔で雷鳴の轟く中を歩いてゆく。 餃子の町で有名だが、焼きそば屋も多く、年がら年中縁日のような町である。 雨上がり、二荒山神社のそばを通ると、山からの冷気が石段を下りてきて鳥居をくぐってくる。そこだけ空気が違うのが分かる。 "雷都"の民は知ってか知らでか、やはり何食わぬ顔である。

赤帽

赤帽

公園の入口に、どこかの子が忘れていった、赤い野球帽。 おっちょこちょいの少年の、下手な守備が目に浮かぶ。 公園会館の、下駄箱の上に置いとくよ。

読書

読書

あのひとは何を読んでいるのだろう… 昔は、電車などで本を読むとき、読んでいる本のタイトルが見えると恥ずかしいから、必ず書店でカバーをかけてもらったもの。 この頃は堂々と、私はこれを読んでいます、と、タイトルも見せて読んでいる人が多いような気がする。 そういうことを恥ずかしいと思うほうがおかしいような。 もっとも、電子書籍も当たり前になったから、もう表紙も背表紙も、装丁も何も無いのだけど。 休み時間の教室の片隅で、あの子が何を読んでいるのか気になったり…… 彼女に借りた本を開くと、クローバーの押し葉がしてあったり…… そんなことは、もうすでに遥か彼方の出来事になった。

牛腸茂雄

牛腸茂雄

ダイアン・アーバスの双子を見ると、すぐに『シャイニング』を思い出してしまい、少しげんなりしてしまうこともあったが、牛腸茂雄の写真は違うように思えた。 子どもが丘を駆けおりてくる。ジャングルジムで遊んでいる。田んぼのあぜにいる。野球帽をかぶった子。顔にらくがきされた子もいる。花を抱えた少女もいた。 そこはどこだろう。手が届きそうで届かない。どこの木陰か分からない。霧の中に走っていく子どもたち。 眺めていると、不思議と親しみが湧いてきた。 牛腸茂雄の立っている「そこ」は、どこなのだろう。それほど遠いところのようにも思えなかった。 ぼくらと、どれほどの距離があるのだろうか。 普段ぼくらは、それが「プロ」なのか「アマ」なのか、そういうことで物事を安易に捉えようとすることが多々あったが、牛腸茂雄は、プロとかアマとか、そういう感じがしなかった。それがいいのか悪いのか、分からない。だとしたら、「そこ」は一体どこなのだろう。

ボロ

ボロ

ある日、家の裏手にやってきた野良猫。 ガリガリに痩せて、毛並みも悪く、それが汚れているのか模様なのかも分からないような猫。 妻は半べそをかきながら、「ボロボロの猫が来た」と言った。 近寄ると、枯れた声で鳴く。 その日から二年近く、ボロは我が家で暮らした。 年齢も分からず、口の中が病気に罹っていたが、なんとか肉も付き、少しは毛並みも良くなった。 「ボロ」と呼ぶと、いつもヒョコヒョコ歩いてきて、膝にポンと飛び乗った。 寒い日はストーブのそばから離れない。 そんなに近付くとヒゲが焼けるよ、と言いながら妻はボロを膝に乗せる。 ボロはぼくらのそばで死んだ。 口の中の病気が重くなり、通院させるも治らなかった。 ボロが死んだあと、夢の中にボロが出てきて、ボロ、ボロ、と、泣きながら目が覚めたことが何度かあった。

誰もいない

誰もいない

ステレオスコープを覗くと、遊園地があった。 誰もいない、ステレオスコープの中の廃墟。 ブリキの太鼓に閉じ込められたメリーゴーランドは、 からから、からから、 乾いた音で、回り続ける。 廃墟に吹く偏西風が、子どもたちを連れ去ったのか。

鉛筆削り

鉛筆削り

子どものころ使っていた鉛筆削りは手回し式じゃなかった。 叔父さんが小学校入学祝いにと、当時最新式のナショナル製電動鉛筆削りを贈ってくれた。 しかしあんなつまらないものはない。 鉛筆を突っ込むと、ガリガリブルブルとモーター音がけたたましく響き、真っ赤な本体にアラームまで付いていた。 このアラームがくせ者で、適当に合わせていたら、真夜中に大音量でブーッと鳴った。 あいつは本当に憎らしかった。 だから、いまだに手回し式に憧れがある。

帰り道

帰り道

ある日の帰り道、彼が信号待ちをしているところへ行き会った。彼は信号の手前にあるアパートの階段に腰掛けていた。市電の大通りは信号待ちが長い。 彼は今度来た転校生で、腎臓が悪いらしく、これまで入退院を繰り返してきたという。彼の名もすっかり忘れてしまったが、顔と全体の印象は辿ることができる。ぼくより大人びていて、上品な印象を受けた。 彼は息を止めて歩こうと言った。手で鼻と口を押さえて息を止め、どこまで歩けるかやろうと言う。ぼくは大丈夫かと聞いたが、彼は大丈夫だと言う。 いつもの市電の信号待ちから息を止め、電車を見過ごし、横断歩道を渡る。渡ったところの米屋の前でぼくは我慢できず息をしたが、彼の手はまだ口と鼻を覆っている。 彼はそのままどんどん歩いていった。凄いなあと感心しながら、彼の横を歩いた。 インチキしてるんじゃないかと尋ねたが、彼は手で口と鼻を覆ったまま、首を横に振った。 彼がいつ転校したのか、覚えていない。 やがて夏休みに入り、もう彼はいなかった。また入院したんじゃなかったか。 彼ならプールで潜ったら凄い記録が出せるのに。 ぼくは夏休みの間、そんなことを考えていた。

僕達の家

僕達の家

our house is a very, very, very fine house with two cats in the yard life used to be so hard now everything is easy 'cause of you and our la,la,la, la,la.... 僕達の家は とってもとってもとってもいい家 二匹の猫は庭にいる 辛いこともあったけど 今はすべてがうまくいく 君のおかげさ ラーラーラララー.... 『僕達の家』 クロスビー,スティルス,ナッシュ&ヤング OUR HOUSE by Crosby Stills Nash & Young

煮もの

煮もの

いい絵を見ると、腹が減る。 吉岡憲の『煮もの』を見たとき、急にお腹が空いた。 その湯気の向こうに、画家のささやかな暮らしが見える気がした。 ぼくは食いしん坊なんだろうか。 梅原龍三郎の紫禁城を描いたのを見ると中華料理を食べたくなるし、藤田嗣治を見ると、甘いショートケーキが食べたくなる。 初めてセザンヌを間近に見たとき、とても驚いた。描かれたりんごやオレンジが、あまりにみずみずしかった。画集でしか知らないときには、そんなことを感じたこともなかった。うまそうだった。

腐れた花

腐れた花

2011年3月、絵の題材に、花を買った。 ふた月後に個展を控えていたが、予定枚数に達しておらず、あと1枚は描いておきたかった。 震災直後で、スーパーにもあまり物はなかったが、併設の花屋には花があった。 少しは明るい気持ちになって、花を買ってはみたが、描くでもなく、眺めるでもなく、日が過ぎる。 心配事があった。 震災時、パニックを起こした飼い猫が帰らず、毎日屈託して暮らしていた。 それでも、描かねばならない。 画廊主からは、震災直後であるし、延期にしてはとの話も出たが、自堕落に屈託した生活のなかで絵を描き、個展を開くことに意味を見出そうとしていた。 しかし、花など買ってはみたものの、やはり描く気が起こらない。 やがて花は枯れ始めた。つぼみのまま腐りかけた部位もあった。なんとかしてやりたい心持ちになった。 腐れた花を、描いた。 「泣きながら描いた絵があってもいい」山口薫

寄席時間

寄席時間

寄席にいると、どれだけ時間が経ったか分からない。 外へ出てみて、ああ、もう夜かと驚く。 また時間を無駄にしてしまったと思いつつ、やはり寄席は楽しい。 ラジオから流れる古い落語を聴いていると、時折、電車がゴウゴウと行き交う音がする。 昔、人形町にあった「末廣」は、木戸に面して都電が走り、雑踏の音はなんでも聞こえてきたという。 冬は寒く、火鉢から離れられない寄席であったという。 おめえ初鰹食ったんだって?どうだいうまかったかい いやあ寒かった

落としもの

落としもの

小学校の薄暗い校舎の隅に、落とし物コーナーがあった。 博物館で使われるような、古い木製の立派な陳列ケースに、校内の落とし物を保管してある。 この陳列ケースを、登下校に覗くのが楽しみだった。 そろばん、たてぶえ、はさみ、帳面、鉛筆、おはじき、なわとび、ボール、体育の赤白帽に、ゴムの伸びた給食帽。 いつまでたっても落とし主の現れない、靴下の片っ方や、手袋の片っ方。 特に珍しいものはない、小さな博物館。

野球場

野球場

中原中也は野球が好きだったようである。 しかし、彼に運動神経はなさそうで、やるより眺めるほうだったろう。 「夏の夜に覺めてみた夢」の、あの野球をぼんやりと眺めている情景は、野球好きには覚えがあるし、『春の日の夕暮れ』の、「アンダースローされた灰が蒼ざめて春の日の夕暮れは静かです」というのも、「アンダースロー」という言葉が野球からのチョイスでないにしろ、どこか野球の持つグランドの土くささを感じる。 「トタンがセンベイ食べて春の日の夕暮れは静かです」 西陽を浴びた野球場が目に浮かぶ。 夕暮れて、スタンドにポールの影が伸びてゆく。

佐伯祐三の画室

佐伯祐三の画室

東京の片隅に、佐伯祐三のアトリエが残っている。この落合周辺を、佐伯は沢山描いている。 画室を持つことへの憧れから、見学に行った。 三角屋根、採光の窓、ドアが三つ。 中を見学できる訳でもなく、何の参考にもならなかった。

山鳩画伯行状記

山鳩画伯行状記

年の瀬、小津安二郎監督を偲ぶ麦秋忌に、山鳩画伯と出席す。 茅ヶ崎館での会合には、鰻の蒲焼が出た。 中庭で記念撮影を済ませると、あとはおのおの雑談、宴会であるので、画伯は抜けだし、折角だから二人で風呂に入ろうと云われた。茅ヶ崎館は小津さんが脚本を書くために籠った宿である。書くことに疲れた小津さんはきっとこの風呂に入っただろうから、その風呂に君も入っておいたほうがいい、と画伯は仰る。 早速手ぬぐいを借りに帳場まで行くと、帳場のおばさんから、余興ですか、踊りに使うのですか、と訊かれた。 画伯と湯につかり、山口瞳について話した。画伯は、君、山口瞳は今も生きてるよ、と言われた。画伯は京都祇園で、山口瞳の幽霊と遭遇したそうである。 画伯と交代で三助をしあい、しばらくのあいだ、茅ヶ崎館の風呂を楽しんだ。小津さんの幽霊は、ここには来ていないだろうか。 夕刻散会し、茅ヶ崎駅に向かう途中、画伯は古い金物屋に立ち寄った。そして、アルマイトのお玉を所望された。 老店主がお玉の在処を案内すると、画伯は返事をするかのように、実に豪快に放屁なされた。

聖五月

聖五月

三月や四月は、五月の従者である。 三月のささやきも、四月のかぎろいも、五月の空に投げた帽子に従うままである。 五月の歌は瀟洒で、覆っていた影はたちまち映える。 花という花、心という心、皆五月の従者である。

ジャンパー

ジャンパー

絵を描くときに着ている紺の作業着は、お慕いする画家、山鳩画伯からいただいた作業用ジャンパーである。 着心地よく、動きやすく、着ないよりは着て描くほうが、いい絵が描けるような気がする。 山鳩画伯もこれを着て沢山描かれたろうか。袖に白い絵具が付いていた。 画伯の作品のひとつに、庭で物を拾うパフォーマンス、というものがある。 何を拾っているのか分からないが、庭で物を拾う画伯の姿を、名刺判に焼き付けた写真作品である。 作業ジャンパーに袖を通すたび、そのユーモア溢れた小品を思い出す。 「君、芸術とは、ものを拾う作業なり」

こけし

こけし

小学二年の頃、同じクラスの大ちゃんの家に遊びに行ったとき、初めてこけしというものを見た。 大ちゃんの家はマンションだったが、一室だけ薄暗い和室があり、こけしはそこに並んでいた。 和室には民芸品や郷土玩具が所狭しと並べられており、その部屋に入ると、タイムマシンで昔に行ったような、昔ばなしの中に忍び込んでいるような気がしたものだ。 大ちゃんのお母さんは青森の人で、壁には津軽の凧も飾ってあった。きっと故郷を懐かしんで集めておられたのだろう。 一本のこけしが目が付いた。 「キナキナ」と呼ばれる無描彩のこけしで、花巻で作られるものだが、顔も描いていないし、子どもの目にはとても異質なものに思えた。 ぼくは大ちゃんに、これはのっぺらぼうのこけしか、と尋ねた。 大ちゃんは、こけしにはそういうものもある、と言った。 こけしにはそういうものもある。 今でもどうかすると、大ちゃんのそのひと言を思い出すことがある。 浅はかな自分の選択や行動を、大ちゃんの言葉が諭してくれるような気がする。 「こけしには、そういうものもある」 ぼくは大ちゃんから、「もの」の本質を教わったような気がする。

花

お祭りの日には花電車が出る。 千田車庫から出て行くのを、手を振って見送った。 満艦飾の花電車に、あの子もこの子も、いつまでもいつまでも手を振った。 カーブをゴトゴト曲がるたびに、花をひとつ落としながら。

夏帽子

夏帽子

夏帽子ぶつきらぼうに冠りゐて (塩川雄三)   ピケ帽=ピッケセーラーといえば、夏の学童のかぶるもの。 小津安二郎監督はピケ帽を愛用しており、写真を見ると大抵かぶっている。 小津さんは汚れてもいいように、同じピケ帽を何個も誂えていたという。 小津さんと同じようなピケ帽を欲しいと思い、しかし探してみると無いもので、銀座の帽子屋でも紳士用のピケ帽はなかった。

鳩

ある日、小学四年のぼくは、家の前にいた鳩に、何気なく餌を撒いた。 屋根の上や、電線には、それを見ている鳩がとまっているもので、それらも降りてきてはついばんだ。 翌朝、また鳩が来たので、餌を撒いてやった。 また翌朝も、鳩が来る。昨日よりも増えている。 鳩はどんどん来た。どうやら、すみかである平和公園のほうから、大勢連れ立って飛んでくるようになった。 毎朝、道が鳩で埋め尽くされるほど、飛んできた。 そうして今度は帰らなくなった。一日中、電線にとまり、家を囲む恰好になった。いつも百羽ほどいた。ヒッチコックの『鳥』を思わせた。 困ったことに、鳩は電線から糞を垂れるので、やりきれなくなった。近所迷惑にもなるし、餌を撒くのをやめた。 それから一週間ほどで、鳩はほぼいなくなったが、三羽くらいは、しばらくは残っていた。 ぼくが学校から帰っても、餌を撒いてもらえないからか、時折寂しそうに鳴いた。

五月六日

五月六日

五月六日に見た夢。 夢の中を小さな蒸気機関車が走る。 それは、※ナローゲージの小さな機関車で、まるで遊園地の汽車のように、しゅしゅぽぽと、松の木立を縫うように走っていた。 駅舎は木造平屋の白塗りで、よく整理され、構内には松の木が整列し、青く輝く。 煉瓦造りのホームには誰もおらず、燕が忙しく出たり入ったりするほかは、新聞を売る小屋もからっぽだ。 機関車は松林を抜けると、ポプラ並木に沿うて、港に向かって走っていった。 ※ナローゲージ= 狭軌。レール軌間が標準軌未満(日本は1067ミリ)のもの。軽便鉄道。

夜の庭

夜の庭

夜の闇に目を凝らしてみると、百日紅の花がぼんやりと見えた。 猫の目が光った。すぐにトラと判る。 「トラ、トラ・・・」 そろそろ家に入ろう。 おまえのベッドで眠ろう。新しいタオルも敷いてやった。 猫は聞く耳を持たず、草の中で飛び上がる。虫を追っているのか。またヤモリを咥えて運んで来るかも知れない。 もういい。戸を閉めて寝てしまおう。 猫も夜に飽きてしまい、やがて草の中で眠るだろう。

カチューシャ

カチューシャ

昼の楽屋のしづけさ。 おしろいのついた硝子。 窓の上にこほろぎが一匹とまつてゐる。 少女はしづかにリーダーを読んでゐる。 私は少女の為にだまつて鉛筆を削つてやつてゐる。 鳥羽茂「秋」より

洋食屋

洋食屋

馴染みのない町を訪ねて、駅前の路地を入ったところなんかに古い洋食屋があると、知らない町でも、ああ、いい町だなあと思ってしまう。 子供の頃、洋食屋のコックさんは憧れの職業で、あっという間にかわいいコックさん、という絵描き歌でよく遊んだ。 コックさんはいつでも白い上っぱりで、自分もあの帽子を被ってみたかった。 今ではもう、細長いスタンドキッチンで、白いコック帽が横一列に所狭しと仕事をしている洋食屋も少なくなった。 (阿佐ヶ谷・冨士ランチ、惜別)

くつぜん

くつぜん

生まれ育った町に「くつぜん」という靴屋があった。 高い靴は置いておらず、アサヒとか月星といったズックやサンダルを主に扱っていて、学区内の子供たちは新学期が近付くと、ここで靴を新調した。 色とサイズを告げると、店主はニコニコしながら脚立に乗り、天井に届くまでうずたかく積まれた沢山の箱の中からひとつ抜いて渡してくれた。リノリウムの剥げた黒いたたきには、潰した空箱が散らばり、その上で試し履きをする。 小さな角店は、それ自体が靴箱のようだった。 店主は大きなグローブのような手をしていた。いつもニコニコしていた丸顔のおじさん、あのうずたかい靴箱とともに思い出す。

山のおみやげ

山のおみやげ

学校から帰ると、勉強机の端に見慣れぬカウベルが吊るされているのが目についた。 母が吊るしたのだろう。 おじさんのおみやげとのことで、どこのものかは覚えていないが、阿蘇のものだったかも知れない。 手に取ると、コンコンと鳴った。 コンコン、 山の音がした。

バターケーキ

バターケーキ

バターケーキのこぼれを箱に撒き、庭先に置いておいた。 やがて鳥がやってくる、という算段だ。 鉛筆とスケッチブックを手に取り、心静かに待っていても、雲の影は通るが、鳥は一向にやって来ない。 残りのバターケーキを食べ、ソファで寝た。 ※ 郷里広島にはカステラに似た「バターケーキ」というものがある。

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