​ノートの片隅

北風帽

北風帽

耳が冷たくてねえ。 ぱっと耳が暖かくなるこういう帽子欲しくって。

二風谷

二風谷

二風谷に行った。 木彫師の高野繁廣さんはにこやかになんでも教えてくれる。 ぼくなんかが北海道を描いてもいいんでしょうかと訊くと、自作のトンコリ(アイヌ弦楽器)を爪弾きながらひと言、「グローバル」。

オカリナ

オカリナ

誰かが吹くオカリナ。 茶摘み、すいかの名産地、夏は来ぬが聞こえる。 ぼくにも吹けるかしら。

ドーハ

ドーハ

パリへの乗り継ぎのため、ドーハの空港待合所で大勢のイスラム女性に取り囲まれるように数時間を過ごした。 異文化に緊張しつつも、ニカーブという神秘的な衣装のなかに見える「暮らし」の気配にすっかり安堵し、眠りこけてしまった。

ミノルさん

ミノルさん

ハワイ島のコナでコーヒー農園を案内してくれたミノルさんは、日系3世で年齢は六十代半ば。 一見気の良い日本人のおじさんだが、日本語は全く喋れない。 マカダミアナッツの木の下で実を割って食べさせてくれたときに、ミノルさんの名前は漢字ではどう書くの?と訪ねた。 するとミノルさんはぼくの手のひらに達筆で一文字書かれた。 マカダミアの「実」と同じ字。

尾道

尾道

ひとりとひとりはさびしくて ふたりになればくるほしい あっという間に風吹いて はぐれた鬼めは帰らんしょ 『日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群』 大林宣彦監督作品より 尾道が舞台の大林監督の作品中、いちばん好きな映画。 朝焼けのなかで、夕子(南果歩)がささやくように歌う。 手の届かぬものに憧れる者は、いつも「はぐれた鬼」である。

セーター

セーター

アランセーターが好きだ。 アイルランド、アラン島の漁師が着るセーター。 木が一本も生えない岩だらけの島で、過酷な漁に出ても潮風から身を守ってくれるセーター。 漁師の妻が編んだセーターには、その家その家の編み模様があって、もし漁師が遭難しても、セーターの模様を見れば身元が判った、と言い伝えられたセーター。 だけど、そういった言い伝えは、実はほとんどが事実ではなかったという、ちょっとがっかりなセーター。 それでも、アランセーターを着ると、それだけで海の男になれるような、羊毛からケルトの香りが漂うような、ちょっと誇らしい気分になる。 ぼくのアランセーターを編んでくれた人の名は、なんて名前だったか。 編み手のサインが入ったタグを、どこかに残しておいたはず。 その人は漁師の妻か、娘か。 たとえぼくが遭難しても、セーターの模様ですぐに身元が判ればいいのだけど。

茂田井さんの巴里

茂田井さんの巴里

ここに来るのが長年の夢だった。 パリの下町にある小さな広場、サン・フェルディナンド広場。 1930年、この広場から伸びたデバルカデール通り沿いにあった日本人クラブの食堂で、茂田井武は皿洗いをしながら住んでいた。 画集『ton paris』は、このサン・フェルディナンド広場周辺のことを、茂田井さんの心にとまった風景、人々を、一枚一枚丁寧に描いたものである。 だから、ここに描かれているのはとても狭い範囲のことであり、この画集につけられたタイトル通り「私のパリ」なのだ。 一日の仕事を終えたあと、絵を描くことだけが楽しみというように、異国で生活することの不安をなぐさめるように描いていたのかも知れない。 茂田井さんが描いたカフェも、牛乳屋も、薬局も健在だった。日本人クラブのあった建物も、当時の姿をとどめている。 ぼくは旅先の用心もあり、茂田井さんが描いた薬局で下痢止めを買った。 茂田井武は、ぼくが絵を描き始めた頃に出会った画家。 茂田井さんの画集『ton paris』と出会わなければ、こんなにまでしつこく絵を描いたりしなかったかも知れない。

室内楽

室内楽

日々の中には必ず一人天使がいる、と中島らもさんは云った。 一日一日には、その日の天使というものがいて、何かに姿を変えて現れる。 高田渡の『夕暮れ』という歌を聴き、らもさんの話を思い出した。 夕暮れの街で ぼくは見る 自分の場所からはみ出してしまった 多くの人々を 夕暮れのビアホールで 一人一杯のジョッキを前に 斜めに座り その目が この世の誰とも交わらないところを選ぶ そうやって たかだか 三十分か一時間 『夕暮れ』作詞 高田渡 高田渡が歌うのは、天使を捉えた人の姿か、それとも、天使そのものか。 天使は降りてくる。 それは、白いひらひらを纏うでもなく、砂糖菓子のような輪っかを頭に浮かべるでもなく、一日の疲れのような気配に現れる。 ある日、考え事があり、高円寺の薄暗い名曲喫茶で屈託していた。 緩やかな室内楽がかかると、老人の客が指揮を取り始めた。そして飄々と店内を漂った。 それは天使然としていた。

昌平橋

昌平橋

日曜日の御茶ノ水。 神保町の古書街も休みの店が多く、裏通りなど一層ひっそりとしている。 聖橋から神田川を見下ろし、さらに秋葉原方面を眺めると、東京は奇麗な町だなあと思う。 何がどう奇麗なのか説明しづらいが、いつだったか、雨の降りそうな日の聖橋から眺めた秋葉原は特に奇麗だった。 そう思うのは自分だけではないようで、聖橋の真ん中から秋葉原方面を、ぼんやり眺めている人を見かけることがある。 時折、橋の下をはしけがくぐり抜けていくが、一度あれに乗せてもらって、船からの御茶ノ水も眺めてみたい。

宇都宮

宇都宮

梅雨空の宇都宮の町を歩くのは、雷の苦手な自分にとってはとても怖いことである。 稲光が走るたび、身を竦めてしまう。 しかし、"雷都"と呼ばれるほど雷の多いこの町に生まれ育った人たちにとっては、日常茶飯事のこと。皆、何食わぬ顔で雷鳴の轟く中を歩いてゆく。 餃子の町で有名だが、焼きそば屋も多く、年がら年中縁日のような町である。 雨上がり、二荒山神社のそばを通ると、山からの冷気が石段を下りてきて鳥居をくぐってくる。そこだけ空気が違うのが分かる。 "雷都"の民は知ってか知らでか、やはり何食わぬ顔である。

赤帽

赤帽

公園の入口に、どこかの子が忘れていった、赤い野球帽。 おっちょこちょいの少年の、下手な守備が目に浮かぶ。 公園会館の、下駄箱の上に置いとくよ。

読書

読書

あのひとは何を読んでいるのだろう… 昔は、電車などで本を読むとき、読んでいる本のタイトルが見えると恥ずかしいから、必ず書店でカバーをかけてもらったもの。 この頃は堂々と、私はこれを読んでいます、と、タイトルも見せて読んでいる人が多いような気がする。 そういうことを恥ずかしいと思うほうがおかしいような。 もっとも、電子書籍も当たり前になったから、もう表紙も背表紙も、装丁も何も無いのだけど。 休み時間の教室の片隅で、あの子が何を読んでいるのか気になったり…… 彼女に借りた本を開くと、クローバーの押し葉がしてあったり…… そんなことは、もうすでに遥か彼方の出来事になった。

牛腸茂雄

牛腸茂雄

ダイアン・アーバスの双子を見ると、すぐに『シャイニング』を思い出してしまい、少しげんなりしてしまうこともあったが、牛腸茂雄の写真は違うように思えた。 子どもが丘を駆けおりてくる。ジャングルジムで遊んでいる。田んぼのあぜにいる。野球帽をかぶった子。顔にらくがきされた子もいる。花を抱えた少女もいた。 そこはどこだろう。手が届きそうで届かない。どこの木陰か分からない。霧の中に走っていく子どもたち。 眺めていると、不思議と親しみが湧いてきた。 牛腸茂雄の立っている「そこ」は、どこなのだろう。それほど遠いところのようにも思えなかった。 ぼくらと、どれほどの距離があるのだろうか。 普段ぼくらは、それが「プロ」なのか「アマ」なのか、そういうことで物事を安易に捉えようとすることが多々あったが、牛腸茂雄は、プロとかアマとか、そういう感じがしなかった。それがいいのか悪いのか、分からない。だとしたら、「そこ」は一体どこなのだろう。

ボロ

ボロ

ある日、家の裏手にやってきた野良猫。 ガリガリに痩せて、毛並みも悪く、それが汚れているのか模様なのかも分からないような猫。 妻は半べそをかきながら、「ボロボロの猫が来た」と言った。 近寄ると、枯れた声で鳴く。 その日から二年近く、ボロは我が家で暮らした。 年齢も分からず、口の中が病気に罹っていたが、なんとか肉も付き、少しは毛並みも良くなった。 「ボロ」と呼ぶと、いつもヒョコヒョコ歩いてきて、膝にポンと飛び乗った。 寒い日はストーブのそばから離れない。 そんなに近付くとヒゲが焼けるよ、と言いながら妻はボロを膝に乗せる。 ボロはぼくらのそばで死んだ。 口の中の病気が重くなり、通院させるも治らなかった。 ボロが死んだあと、夢の中にボロが出てきて、ボロ、ボロ、と、泣きながら目が覚めたことが何度かあった。

誰もいない

誰もいない

ステレオスコープを覗くと、遊園地があった。 誰もいない、ステレオスコープの中の廃墟。 ブリキの太鼓に閉じ込められたメリーゴーランドは、 からから、からから、 乾いた音で、回り続ける。 廃墟に吹く偏西風が、子どもたちを連れ去ったのか。

鉛筆削り

鉛筆削り

子どものころ使っていた鉛筆削りは手回し式じゃなかった。 叔父さんが小学校入学祝いにと、当時最新式のナショナル製電動鉛筆削りを贈ってくれた。 しかしあんなつまらないものはない。 鉛筆を突っ込むと、ガリガリブルブルとモーター音がけたたましく響き、真っ赤な本体にアラームまで付いていた。 このアラームがくせ者で、適当に合わせていたら、真夜中に大音量でブーッと鳴った。 あいつは本当に憎らしかった。 だから、いまだに手回し式に憧れがある。

帰り道

帰り道

ある日の帰り道、彼が信号待ちをしているところへ行き会った。彼は信号の手前にあるアパートの階段に腰掛けていた。市電の大通りは信号待ちが長い。 彼は今度来た転校生で、腎臓が悪いらしく、これまで入退院を繰り返してきたという。彼の名もすっかり忘れてしまったが、顔と全体の印象は辿ることができる。ぼくより大人びていて、上品な印象を受けた。 彼は息を止めて歩こうと言った。手で鼻と口を押さえて息を止め、どこまで歩けるかやろうと言う。ぼくは大丈夫かと聞いたが、彼は大丈夫だと言う。 いつもの市電の信号待ちから息を止め、電車を見過ごし、横断歩道を渡る。渡ったところの米屋の前でぼくは我慢できず息をしたが、彼の手はまだ口と鼻を覆っている。 彼はそのままどんどん歩いていった。凄いなあと感心しながら、彼の横を歩いた。 インチキしてるんじゃないかと尋ねたが、彼は手で口と鼻を覆ったまま、首を横に振った。 彼がいつ転校したのか、覚えていない。 やがて夏休みに入り、もう彼はいなかった。また入院したんじゃなかったか。 彼ならプールで潜ったら凄い記録が出せるのに。 ぼくは夏休みの間、そんなことを考えていた。

僕達の家

僕達の家

our house is a very, very, very fine house with two cats in the yard life used to be so hard now everything is easy 'cause of you and our la,la,la, la,la.... 僕達の家は とってもとってもとってもいい家 二匹の猫は庭にいる 辛いこともあったけど 今はすべてがうまくいく 君のおかげさ ラーラーラララー.... 『僕達の家』 クロスビー,スティルス,ナッシュ&ヤング OUR HOUSE by Crosby Stills Nash & Young

煮もの

煮もの

いい絵を見ると、腹が減る。 吉岡憲の『煮もの』を見たとき、急にお腹が空いた。 その湯気の向こうに、画家のささやかな暮らしが見える気がした。 ぼくは食いしん坊なんだろうか。 梅原龍三郎の紫禁城を描いたのを見ると中華料理を食べたくなるし、藤田嗣治を見ると、甘いショートケーキが食べたくなる。 初めてセザンヌを間近に見たとき、とても驚いた。描かれたりんごやオレンジが、あまりにみずみずしかった。画集でしか知らないときには、そんなことを感じたこともなかった。うまそうだった。

腐れた花

腐れた花

2011年3月、絵の題材に、花を買った。 ふた月後に個展を控えていたが、予定枚数に達しておらず、あと1枚は描いておきたかった。 震災直後で、スーパーにもあまり物はなかったが、併設の花屋には花があった。 少しは明るい気持ちになって、花を買ってはみたが、描くでもなく、眺めるでもなく、日が過ぎる。 心配事があった。 震災時、パニックを起こした飼い猫が帰らず、毎日屈託して暮らしていた。 それでも、描かねばならない。 画廊主からは、震災直後であるし、延期にしてはとの話も出たが、自堕落に屈託した生活のなかで絵を描き、個展を開くことに意味を見出そうとしていた。 しかし、花など買ってはみたものの、やはり描く気が起こらない。 やがて花は枯れ始めた。つぼみのまま腐りかけた部位もあった。なんとかしてやりたい心持ちになった。 腐れた花を、描いた。 「泣きながら描いた絵があってもいい」山口薫

寄席時間

寄席時間

寄席にいると、どれだけ時間が経ったか分からない。 外へ出てみて、ああ、もう夜かと驚く。 また時間を無駄にしてしまったと思いつつ、やはり寄席は楽しい。 ラジオから流れる古い落語を聴いていると、時折、電車がゴウゴウと行き交う音がする。 昔、人形町にあった「末廣」は、木戸に面して都電が走り、雑踏の音はなんでも聞こえてきたという。 冬は寒く、火鉢から離れられない寄席であったという。 おめえ初鰹食ったんだって?どうだいうまかったかい いやあ寒かった

落としもの

落としもの

小学校の薄暗い校舎の隅に、落とし物コーナーがあった。 博物館で使われるような、古い木製の立派な陳列ケースに、校内の落とし物を保管してある。 この陳列ケースを、登下校に覗くのが楽しみだった。 そろばん、たてぶえ、はさみ、帳面、鉛筆、おはじき、なわとび、ボール、体育の赤白帽に、ゴムの伸びた給食帽。 いつまでたっても落とし主の現れない、靴下の片っ方や、手袋の片っ方。 特に珍しいものはない、小さな博物館。

野球場

野球場

中原中也は野球が好きだったようである。 しかし、彼に運動神経はなさそうで、やるより眺めるほうだったろう。 「夏の夜に覺めてみた夢」の、あの野球をぼんやりと眺めている情景は、野球好きには覚えがあるし、『春の日の夕暮れ』の、「アンダースローされた灰が蒼ざめて春の日の夕暮れは静かです」というのも、「アンダースロー」という言葉が野球からのチョイスでないにしろ、どこか野球の持つグランドの土くささを感じる。 「トタンがセンベイ食べて春の日の夕暮れは静かです」 西陽を浴びた野球場が目に浮かぶ。 夕暮れて、スタンドにポールの影が伸びてゆく。

佐伯祐三の画室

佐伯祐三の画室

東京の片隅に、佐伯祐三のアトリエが残っている。この落合周辺を、佐伯は沢山描いている。 画室を持つことへの憧れから、見学に行った。 三角屋根、採光の窓、ドアが三つ。 中を見学できる訳でもなく、何の参考にもならなかった。

山鳩画伯行状記

山鳩画伯行状記

年の瀬、小津安二郎監督を偲ぶ麦秋忌に、山鳩画伯と出席す。 茅ヶ崎館での会合には、鰻の蒲焼が出た。 中庭で記念撮影を済ませると、あとはおのおの雑談、宴会であるので、画伯は抜けだし、折角だから二人で風呂に入ろうと云われた。茅ヶ崎館は小津さんが脚本を書くために籠った宿である。書くことに疲れた小津さんはきっとこの風呂に入っただろうから、その風呂に君も入っておいたほうがいい、と画伯は仰る。 早速手ぬぐいを借りに帳場まで行くと、帳場のおばさんから、余興ですか、踊りに使うのですか、と訊かれた。 画伯と湯につかり、山口瞳について話した。画伯は、君、山口瞳は今も生きてるよ、と言われた。画伯は京都祇園で、山口瞳の幽霊と遭遇したそうである。 画伯と交代で三助をしあい、しばらくのあいだ、茅ヶ崎館の風呂を楽しんだ。小津さんの幽霊は、ここには来ていないだろうか。 夕刻散会し、茅ヶ崎駅に向かう途中、画伯は古い金物屋に立ち寄った。そして、アルマイトのお玉を所望された。 老店主がお玉の在処を案内すると、画伯は返事をするかのように、実に豪快に放屁なされた。

聖五月

聖五月

三月や四月は、五月の従者である。 三月のささやきも、四月のかぎろいも、五月の空に投げた帽子に従うままである。 五月の歌は瀟洒で、覆っていた影はたちまち映える。 花という花、心という心、皆五月の従者である。

ジャンパー

ジャンパー

絵を描くときに着ている紺の作業着は、お慕いする画家、山鳩画伯からいただいた作業用ジャンパーである。 着心地よく、動きやすく、着ないよりは着て描くほうが、いい絵が描けるような気がする。 山鳩画伯もこれを着て沢山描かれたろうか。袖に白い絵具が付いていた。 画伯の作品のひとつに、庭で物を拾うパフォーマンス、というものがある。 何を拾っているのか分からないが、庭で物を拾う画伯の姿を、名刺判に焼き付けた写真作品である。 作業ジャンパーに袖を通すたび、そのユーモア溢れた小品を思い出す。 「君、芸術とは、ものを拾う作業なり」

こけし

こけし

小学二年の頃、同じクラスの大ちゃんの家に遊びに行ったとき、初めてこけしというものを見た。 大ちゃんの家はマンションだったが、一室だけ薄暗い和室があり、こけしはそこに並んでいた。 和室には民芸品や郷土玩具が所狭しと並べられており、その部屋に入ると、タイムマシンで昔に行ったような、昔ばなしの中に忍び込んでいるような気がしたものだ。 大ちゃんのお母さんは青森の人で、壁には津軽の凧も飾ってあった。きっと故郷を懐かしんで集めておられたのだろう。 一本のこけしが目が付いた。 「キナキナ」と呼ばれる無描彩のこけしで、花巻で作られるものだが、顔も描いていないし、子どもの目にはとても異質なものに思えた。 ぼくは大ちゃんに、これはのっぺらぼうのこけしか、と尋ねた。 大ちゃんは、こけしにはそういうものもある、と言った。 こけしにはそういうものもある。 今でもどうかすると、大ちゃんのそのひと言を思い出すことがある。 浅はかな自分の選択や行動を、大ちゃんの言葉が諭してくれるような気がする。 「こけしには、そういうものもある」 ぼくは大ちゃんから、「もの」の本質を教わったような気がする。

花

お祭りの日には花電車が出る。 千田車庫から出て行くのを、手を振って見送った。 満艦飾の花電車に、あの子もこの子も、いつまでもいつまでも手を振った。 カーブをゴトゴト曲がるたびに、花をひとつ落としながら。

夏帽子

夏帽子

夏帽子ぶつきらぼうに冠りゐて (塩川雄三)   ピケ帽=ピッケセーラーといえば、夏の学童のかぶるもの。 小津安二郎監督はピケ帽を愛用しており、写真を見ると大抵かぶっている。 小津さんは汚れてもいいように、同じピケ帽を何個も誂えていたという。 小津さんと同じようなピケ帽を欲しいと思い、しかし探してみると無いもので、銀座の帽子屋でも紳士用のピケ帽はなかった。

鳩

ある日、小学四年のぼくは、家の前にいた鳩に、何気なく餌を撒いた。 屋根の上や、電線には、それを見ている鳩がとまっているもので、それらも降りてきてはついばんだ。 翌朝、また鳩が来たので、餌を撒いてやった。 また翌朝も、鳩が来る。昨日よりも増えている。 鳩はどんどん来た。どうやら、すみかである平和公園のほうから、大勢連れ立って飛んでくるようになった。 毎朝、道が鳩で埋め尽くされるほど、飛んできた。 そうして今度は帰らなくなった。一日中、電線にとまり、家を囲む恰好になった。いつも百羽ほどいた。ヒッチコックの『鳥』を思わせた。 困ったことに、鳩は電線から糞を垂れるので、やりきれなくなった。近所迷惑にもなるし、餌を撒くのをやめた。 それから一週間ほどで、鳩はほぼいなくなったが、三羽くらいは、しばらくは残っていた。 ぼくが学校から帰っても、餌を撒いてもらえないからか、時折寂しそうに鳴いた。

五月六日

五月六日

五月六日に見た夢。 夢の中を小さな蒸気機関車が走る。 それは、※ナローゲージの小さな機関車で、まるで遊園地の汽車のように、しゅしゅぽぽと、松の木立を縫うように走っていた。 駅舎は木造平屋の白塗りで、よく整理され、構内には松の木が整列し、青く輝く。 煉瓦造りのホームには誰もおらず、燕が忙しく出たり入ったりするほかは、新聞を売る小屋もからっぽだ。 機関車は松林を抜けると、ポプラ並木に沿うて、港に向かって走っていった。 ※ナローゲージ= 狭軌。レール軌間が標準軌未満(日本は1067ミリ)のもの。軽便鉄道。

夜の庭

夜の庭

夜の闇に目を凝らしてみると、百日紅の花がぼんやりと見えた。 猫の目が光った。すぐにトラと判る。 「トラ、トラ・・・」 そろそろ家に入ろう。 おまえのベッドで眠ろう。新しいタオルも敷いてやった。 猫は聞く耳を持たず、草の中で飛び上がる。虫を追っているのか。またヤモリを咥えて運んで来るかも知れない。 もういい。戸を閉めて寝てしまおう。 猫も夜に飽きてしまい、やがて草の中で眠るだろう。

カチューシャ

カチューシャ

昼の楽屋のしづけさ。 おしろいのついた硝子。 窓の上にこほろぎが一匹とまつてゐる。 少女はしづかにリーダーを読んでゐる。 私は少女の為にだまつて鉛筆を削つてやつてゐる。 鳥羽茂「秋」より

洋食屋

洋食屋

馴染みのない町を訪ねて、駅前の路地を入ったところなんかに古い洋食屋があると、知らない町でも、ああ、いい町だなあと思ってしまう。 子供の頃、洋食屋のコックさんは憧れの職業で、あっという間にかわいいコックさん、という絵描き歌でよく遊んだ。 コックさんはいつでも白い上っぱりで、自分もあの帽子を被ってみたかった。 今ではもう、細長いスタンドキッチンで、白いコック帽が横一列に所狭しと仕事をしている洋食屋も少なくなった。 (阿佐ヶ谷・冨士ランチ、惜別)

くつぜん

くつぜん

生まれ育った町に「くつぜん」という靴屋があった。 高い靴は置いておらず、アサヒとか月星といったズックやサンダルを主に扱っていて、学区内の子供たちは新学期が近付くと、ここで靴を新調した。 色とサイズを告げると、店主はニコニコしながら脚立に乗り、天井に届くまでうずたかく積まれた沢山の箱の中からひとつ抜いて渡してくれた。リノリウムの剥げた黒いたたきには、潰した空箱が散らばり、その上で試し履きをする。 小さな角店は、それ自体が靴箱のようだった。 店主は大きなグローブのような手をしていた。いつもニコニコしていた丸顔のおじさん、あのうずたかい靴箱とともに思い出す。

山のおみやげ

山のおみやげ

学校から帰ると、勉強机の端に見慣れぬカウベルが吊るされているのが目についた。 母が吊るしたのだろう。 おじさんのおみやげとのことで、どこのものかは覚えていないが、阿蘇のものだったかも知れない。 手に取ると、コンコンと鳴った。 コンコン、 山の音がした。

バターケーキ

バターケーキ

バターケーキのこぼれを箱に撒き、庭先に置いておいた。 やがて鳥がやってくる、という算段だ。 鉛筆とスケッチブックを手に取り、心静かに待っていても、雲の影は通るが、鳥は一向にやって来ない。 残りのバターケーキを食べ、ソファで寝た。 ※ 郷里広島にはカステラに似た「バターケーキ」というものがある。