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  • 執筆者の写真higouti

二笑亭綺譚 昭和14年版



『二笑亭綺譚』の昭和14年版には二笑亭内部の写真図版が収められているとのことで、古本で購入し(重版だからか安く買えた)、飽かずに眺めていた…

…ら、表紙が千切れてしまった。 補修しなきゃ…


とにかく80年も前の本を手に、式場隆三郎の文章を読みながら、谷口吉郎の図面でその場所を探し、写真図版を照らし合わせる、と忙しく捲っていたから千切れるのも無理もない。



新版の木村荘八の挿絵も素晴らしい。 しかし、この写真図版がまた生々しいというか、独特の空気を醸し出していて、なんかくる。


「しかし、來て見ると、やはり、ただならぬ氣配が其處らぢゆうに漂つてゐて、一種の異様な感に壓えつけられてしまつた。 家の中には、まだ紙屑などが一ぱいに散らかつてゐて、立ち退いた時の亂雑さが、昨日のやうに生々しく殘つてゐる。空氣も濕つぽい肌触りがする。建具の薄暗い影が長く尾をひいてゐて、ぶきみな氣配が立ちはだかつて來る。 一ばん氣にかかるのは、家全體がなんだか常人には飲み込めない、得態の知れぬ形態感に充満してゐることである。部屋の中に立つてゐても、それがのしかかつて來るやうで、頭が重苦しい。きつと、形の寸法感が狂つた性格のやうに、度が外れてしまつたのかも知れない。」 (二笑亭の建築・谷口吉郎)





この谷口吉郎の感じた薄気味悪さが写真図版から伝わってくるような気がする。 そうやって、文、図面、写真を照らし合わせて、何度も二笑亭を追体験してみるのが、いつの間にかたまらなくなってきた。


式場隆三郎は文中で小堀遠州を引き合いに出した。 成る程。 「綺麗さび」という言葉を残し、四畳半の茶室に窓を八つも設えたという茶人。


「二笑亭の九つの節目のガラス窓はもつと感心してよいのだ。遠州の多數窓を美しいといふならば、この窓だつて部分的には美しいのだ。 遠州よ、昭和に知己ありと云つておかう。」 (節孔窓・式場隆三郎)


二笑亭主人も茶人であったという。 母屋には僅か二畳の茶室を設え、床の間にはナイアガラの滝の写真(!)を飾っていたという。


ははあ、茶室と二笑亭。

そのあたりを追求したのが、ちくま文庫版『定本二笑亭綺譚・五十年目の再訪記』であるという。

というわけで、こちらも探してみた。 しかし、1992年に出た文庫版にもプレミアが付いている… なんとか買えそうなものを取り寄せたのだった。


果たして、これがまた面白い。 (つづく)

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