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  • 執筆者の写真higouti

『旅』1960年7月号


映画監督谷口千吉の北海道旅行記が読みたくて古い『旅』を購入。 谷口千吉・八千草薫夫妻の約2週間の旅。 昭和35年7月号だから、実際の旅程は昭和34年冬。


最も興味深かったのは、二風谷アイヌコタン訪問記。 道内で最もアイヌの原風景が残っているコタン(観光地化されていない)を訪れたいとのことで二風谷をすすめられる。


谷口夫妻は二風谷の小学校を訪れ、先生や父兄に話を聞く。 小学校の先生曰く、 「日本政府は、アイヌは日本人より一級低いものだという思想を、日本人だけでなく、アイヌ自身にも植え付けてしまったのです。それはつまり、今の子どもたちの親たちの世代です。だからせめて子どもたちだけは、アイヌも和人もない、みんなただの日本人だという考えで大きくしてやりたいのです。」


その後、アイヌが大切にしているものを見たいとの希望に、父兄のひとりの家に案内される。 アイヌ犬に吠えられながら、子どもたちに囲まれながら、どこが畑でどこが道か分からない原っぱに点在する茅葺き屋根のチセ(住宅)の一件にお邪魔する。

この家の宝物を見せてくださいとの問いかけに、老婆が取り出して見せてくれたのは、和人がもたらした漆器一式(行器や椀)だった。 谷口千吉は複雑な心境に駆られる。 「これこそは日本人の狡猾な搾取を雄弁に物語っている。」


去り際、谷口夫妻は父兄のひとりに声をかけられる。 「どうかアイヌを特別な目で見ないでそっとしておいてください。小説や映画でアイヌを扱ってくださるのはありがたいようでいて、実は何か特別な目で見ているからじゃないんですか? どうぞそっとしておいてください。そして"アイヌ"なんて言葉もなくなり、全く同化してしまって、他人も自分もそんなことに気がつかなくなるようなときが、早くきてもらいたいのです。」


ぼくはこれを読んで驚いた。 そして、昭和34年(1959年)当時のアイヌの様子にリアリティを感じた。 成瀬巳喜男監督の『コタンの口笛』が公開されたのがこの年。 映画と旅行記の印象に、それほどのズレを感じない。

二風谷の萱野茂さんが、失われていくアイヌ文化を憂いて、調査・保存を意識し始めるのが1960年頃。 この旅行記のなかの教師や父兄の感慨は確かにあったのだろう。「同化政策」は重く、長く、影響し続けていた。『コタンの口笛』にもその葛藤は描かれる。


同時にこの旅行記から、失われていくアイデンティティを取り戻しはじめた萱野さんたちニューエイジの目覚めも感じることができた。 谷口千吉がそこに触れているわけではないのだけれど、若者の目覚めは必然だった、と感じる。


旅行記は二風谷の他にも、根室〜花咲へ流氷を見てまわり、歯舞、色丹からの移住者を取材する。(これも生々しい)


谷口夫妻の最終地は札幌で、開拓民画家・坂本直行の個展を観覧する。 在廊していた坂本直行本人から展示中の油彩を一点購入。日高山脈を描いた絵。 坂本直行から、絵とともに以下の言葉を送られる。 「これは私の家の近くから見た景色です。風景はこれほど美しいが、そこに住んで生活するのは並大抵ではない…ということを覚えていてください。」


ああ、旅がしたい…!

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