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  • 執筆者の写真higouti

年末年始



年末は中禅寺湖畔で過ごした。

全国的に寒波到来の大雪で、日光駅周辺はそれほどの積雪はなかったにせよ、いろは坂をのぼってゆくと雪国になった。


車で行く予定だったが雪道の運転に自信がなく、鉄道とバスにした。

戦場ヶ原や日光湯元のほうまで行くこともなく、ただホテルでぼんやりと雪景色を眺めるだけで帰ってきた。



安原伸さんが亡くなったことを知った。

映像作家で、趣味的要素の強いカメラを作る人として有名だった。

変わった人だった。

聞けば、2020年に亡くなったとのこと。

56歳だった。


安原さんと深いつながりはない。

安原さんが作る映画も特に好きではなかった。

1993年、CINEMAだいすき映像大賞の会場でご一緒し、更に1995年2月、ゆうばり映画祭でご一緒しただけのこと。


ただ、夕張の宿舎では相部屋になり、3泊ほどの時間を共に過ごした。

安原さんはなぜか二胡を持参されており、映画祭の期間中、ずっと会場の外で弾かれていた。

どうして二胡を弾くのか、その訳は聞かなかった。

ぼくは初めての北海道で上気しており、自分の作品が上映されることもあり、安原さんという人に積極的に興味を持つ余裕もなかった。

当時、京セラのエリート社員だったという安原さんから見れば、ぼくはアーティスト気取りのくそ生意気なガキと映っただろう。

(千歳から夕張までの車中では三宅隆太さんの隣の席になり、いろいろ話した)



あの人は56歳で死んだのか。

ちょっとしみじみと考えてしてしまった。

やりたいことをやりつくして死んだのだろうか。


ぼくも56歳で死ぬかも知れない。

だとすると、時間はあとわずかしかない。

ぼくなんて、安原さんの1000分の1も満足にやれていないだろう。

56歳までに、今まで怠ってきた何かを取り戻すことは、何かに到達することは、出来るのだろうか。

今まで出会ってきた人たちのことを思い出すと、自分が「偽物」だということを否応なしに感じる。


それでも、やりたいことをやる以外に、自分の生きる道はないではないか。

ハンパものであろうが、まがいものであろうが。

死ぬまで。

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