「丘珠にヒグマが出た」と聞いて、咄嗟に北大植物園の博物館にある「人喰い熊」の剥製の話題かと思った。
明治11年冬、札幌丘珠にヒグマが現れ、人間を襲った事件があった。 円山山中で、冬ごもり中のヒグマを猟師が射止めようとしたが、外した。 冬眠の途中で目覚めたヒグマは山を下りて彷徨。 丘珠村の農民が被害に遭った。
ヒグマは駆除隊により射殺され、警察署前で晒された後、札幌農学校に運ばれて解剖された。 そのとき一年生だった新渡戸稲造も解剖に立ち会ったという。
ヒグマは剥製にされた。 北海道最古の剥製で、いまも記念物として北大植物園の博物館に収蔵されている。
今回耳にした「丘珠にヒグマが出た」は、剥製の話ではなく、「住宅街に現れたヒグマ」のニュースだった。
大ごとだと思った。 狼狽えた。 しかし、被害に遭われた方は大変だったが、死亡事故にならなくて本当によかったと思う。
ニュースでヒグマが住人を次々と襲うVTRが放映された。 町でヒグマと遭遇した人は、心の底から恐怖したと話した。 本当に怖かったと思う。
ネット上にはいろいろなコメントが上がった。 現地の者以外が口を挟むことに難色を示す意見も多かった。 冷静な意見、綺麗事、正義感、動物愛護、無責任な野次馬…いろいろ。
ぼくは現地に住まない無責任な野次馬になるだろうけど、とにかく死者が出なくてよかったと。 そして、死者が出なかったということで、あのヒグマには人間に対して殺意はなかったよ…と。。
こういうことはまた起こり得る、ということ。 郊外に広がっていく町は、143年前の寝込みを襲われた熊と同じで、熊を追い出そうとすることでは同じことでは、と思う。 追い出された熊は、新しい土地を探す。 食べ物を探し、彷徨する。
彷徨する先は駅前かも知れない。 学校かも知れない。 庭先に現れるかも知れない。
北海道にはヒグマが生息している。 キタキツネが生息し、エゾジカが生息し、タンチョウが生息している。 それから、人間も生息している。
そこは繋がっている。 人間が自分の領地を広げるたびに、人間以外の生き物と出会うことになる。 森は動物園ではない。 人は柵があるつもりで暮らしているが、柵はない。 (知床ウトロの町にはヒグマやエゾシカが入らないよう町と山の境界に電気柵が張り巡らされている)
当たり前のこと。 143年前の丘珠にもあったこと。 いまの丘珠にあっても、何ら不思議はない。 それでも住民は住み続けなければならない。 経済活動は止められない。 東京と同じような便利な町を、これからも北海道のあちこちに作らなければならない。
そして、無責任な野次馬は、自分で描いた熊の絵に呼びかける。 逃げろ。
芳賀たかし著『愉快な子熊』(1940年刊)より
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