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ピート・ベスト

ピート・ベストがデビュー直前のビートルズをクビになった理由をいくつか書いているサイトがあって、そのひとつに髪型のことがあり、「テディボーイスタイルのリーゼントを他メンバーと同じようにしなかったから→協調性に欠ける」とあった。
それは違うと思う。
1962年にロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズのリンゴ・スターがピート・ベストと入れ替わったとき、リンゴもまだリーゼントだった。
"Please Please Me"や、82年に出た12インチシングル"Love Me Do"のジャケットを見れば一目瞭然。
ロックバンドに協調性もク◯もない。
やはり技術というか、ノリ、フィーリングの問題だったんだと思う。
そして、近年プロデューサーのジョージ・マーティンが「ドラマー交代については口出ししていない」と証言。
それまでピートのクビを提案したのはジョージ・マーティンとされていた。
やはり言い出しっぺはポールだと思う。
先に脱退したベースのスチュワート・サトクリフも、そしてピートも、脱退させたのはポールの音楽性、向上心によるものだったのでは、と思う。
スチュワート・サトクリフは画家であり、音楽活動にはさほど興味もなく、あくまでも親友ジョン・レノンとつるんでいたいだけのことだった。
そして、ピートはメンバーの誰よりもハンサムだった。
やっかみがあったとは思えないが、バンドの進むべき方向性は、ピートと他の3人とでは違っていたのかも知れない。
ポールの思惑はジョージに伝わり、ジョージからマネージャーのブライアン・エプスタインに提案し、ブライアンはピート・ベストにクビを告げた。
当時既にロードマネージャーとしてビートルズを支えていたニール・アスピノールはピートの親友だった。
ピートのクビに激怒したニールは抗議したが聞き入れられず、ビートルズなんてもう知らん!と辞めるつもりでいたが、それをなだめたのはピートだったという。
ニールはなんとピートの母親モナと恋仲で、モナはまさにこの1962年に二人の間の子を出産していた。
ニールはビートルズの仕事を続け、「5人目のビートルズ」と呼ばれるほどビートルズを影で支えた。
ビートルズ解散後も、亡くなるまでアップルの代表を務めた。
ピート・ベストは「ビートルズになれなかった男」として有名になり、デッカレコード(オーディションでビートルズを落とした)から、自らのバンドでデビューも果たした。
ビートルズ旋風が巻き起こったのちもしばらくはリーゼントスタイルだったが、1965年のピート・ベストは、もうビートルズのような髪型に変わっていた。
ふと思う。
ピートは一生ビートルズに翻弄されてきた。
1962年当時、彼はどれくらい音楽に肩入れしていたのだろう。
そしてビートルズをクビになったとき、どれくらいビートルズを辞めたくないと思ったのだろうか。
「あのビートルズをクビになった!」とはいえ、まだレコードデビューもしていないリバプールだけのローカルバンドだったわけで。
それほどのショックがあったんだろうか。
その後、まさかビートルズがイギリス中、果ては世界中を席巻するとなんてことを、ブライアンのオフィス(ネムスレコード店内か)でクビを言い渡されたとき、果たして想像できただろうか。
いや、できなかったと思う。
マジか聞いてねーよ明日から仕事どーすんだよ、くらいのことじゃなかったか。
いや、実際にはピートはストイックな性格もあり、ある部分では裏切りを感じ、ある部分では冷静に受け止めたのではないかと思う。
本人は呆然として、どうやって家に帰ったかも覚えてなかった、と言っている。
ピート・ベストがドラムのビートルズの演奏は残っている。
悪くない。
リズムキープもほぼ完璧。
フィルインに乏しい印象を受けるが、非の打ち所はない。
しかし、リンゴが加入した"I Saw Her Standing There"を聴くと、ああ、これがビートルズだ、と。
途中でリズムが走りすぎたりするあたり、しかし4人の息はぴったり。
ロックのひとつの到達点を感じる。
ピート・ベストのままだったら、果たしてデビューアルバム"Please Please Me"でさえ完成していたかどうか。
それは分からない。
ちょっと想像しにくい。
このアルバムですでにリンゴはリードヴォーカルもとり、その個性は遺憾なく発揮されていた。
蛇足になるが、この曲の出だしの歌詞は、
"Well she was just seventeen, never been a beauty queen"
(彼女はちょうど17歳。美人コンテストで優勝したことはない)
とポールが書いていたのを、ジョンが、
"Well she was just seventeen, You know what I mean"
(彼女はちょうど17歳。ぼくの言う意味が分かるだろう)
に書き換えたという。
これだけでビートルズを好きでよかったと思える。
ジョンはポップミュージックの真髄を身につけて産まれてきたのだと思う。
ピート・ベストはミュージシャンとして活躍し続けることはなかった。
1967年、バンド解散。
パン工場でアルバイトをし、やがて市役所に勤めた。