higouti
ゴアテックスと過信
『トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか』、ひとまず読了。
深い一冊だった。
いろいろ考えた。
おそらく、トムラウシ温泉に泊まっていなければ、遭難事故に興味も持たなかったし、この一冊を手に取ることもなかったかも知れない。
「山で死ぬということは意外と楽だなあ」
事故当日、遭難パーティーとは別のパーティーのメンバーが、同じルートでやはり低体温症に陥り、眠気のなかで浮かんだ言葉。
それは本当のことなんだろうなと思った。
低体温症の恐ろしさ。
人間の生命のはかなさ。
山の地形と天候の、寄せつけなさ。
人間の記憶、思い違い。
身勝手と同調。
鈍感と怒り。
プレッシャーと自滅。
絆の脆さ。
ゴアテックスと過信。
この一冊からいろんなものが手に取れるようだった。
命を落としたガイドリーダーは、2日目の引率中、「もう本当にこんな山絶対に来ない」とサブガイドに洩らしたという。
引率者であるはずのその人の山に対する諦観は、心底恐ろしいと思った。
それが「低体温症」の始まりだったのかも知れない。
トムラウシ温泉の傍に登山口があった。
あの遭難者たちは旭岳から縦走し、ここに降りてくる予定だったのか。
トムラウシ温泉に泊まり、翌日は帰宅するという行程だった。
ぼくは登山もキャンプもしないし、「百名山」にもさほど興味があるほうではないけれど、これは読んでよかったと思う。
たとえば、山が好きな人からしてみれば、あの遭難事故は所詮中高年のツアー登山参加者が起こしたものであり、本格的な登山ではないと思えるとしても。
もしくは、自分は低い山専門、ハイキングを嗜む程度だからそんな知識は不要、だとしても。
あるいは、晴天の山頂を我がものとし、自分こそは選ばれし者だと実感したとしても。
読んだことないなら、ちょっと読んどいたほうがいいような。
そんな人たちだって、山へ行くたびにすれ違っていると思う、この一冊のなかにある「怖いもの」と。
それはやはりこのひと言に尽きるんだろうな。
山をなめるな。
